春園の月がオカマをいざなう
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横山大観「春園の月」 操作方法がわからなくて画像が横になってしまう(笑)
ここは大観の私邸だったので、庭の桜や松、徳川家達から寄贈された庭石、建物の凝った造りに至るまで大観の息遣いが感じられる。
今回、圧巻だったのは二階中央に展示された「春園の月」。
この「春園の月」は習作だが、記念館のメイン展示にふさわしく、輝く月に映し出された桜が春を誘うようだ。
と、思っていたのだが、学芸員に聞くとこれは桜ではなく梅だそうな。
明るい太陽ではなく、暗闇の月
みんなが花見を祝う桜ではなく、つい見るのを忘れられる梅
・・・・・そこで思わずオカマたちのことが思い浮かんだ(笑)
江戸時代~昭和くらいまではオカマのことを「陰間(かげま)」と言って、その名のとおりの世間の陰の存在で、隠微で閉ざされた世界に生きる弱者だった。
いつの時代もヤクザとか半端者はより弱い者を食い物にする。陰間もそうやって食い物にされてきた。
そういう古い文化から出てきたオカマが、美輪明宏、カルセル麻紀、ピーター、おすぎとぴーこ、美川憲一(これはオネエか)たちだろう。
それが20年くらい前から明るい女装子の文化に変わりはじめた。
はるな愛や椿姫彩菜たちはこの文化から出てきたと思う。
じつはこの新しい明るい女装子文化を作ってきたオカマたちがいる。
その代表が二丁目の伝説のオカマ、タキさんだ。
タキさん自身は古い陰湿な世界を生き抜いてきたオカマだが、20年前、彼女が初めて二丁目に明るい素人女装子のバーを作った。
まず思いが完成すれば形はついてくる。
タキさん系統の店は徐々に増えていって、6年前、タキさんが亡くなるころには、二丁目からゴールデン街にかけてタキさんの直営店だけで5軒あって、さらにタキさんの店出身の明るいオカマたちがそういう店を次々に出していった。そうして二丁目の雰囲気がどんどん変わっていったのだ。
だから彼女が亡くなったときは二丁目の女装子たちが悲しんで、メインの店ではその後数年間もタキさんの遺影と焼香がおかれていたくらいだ。
おれとタキさんとの出会いは、20年前のちょうどそのころ。
ある日、週刊新潮、文春、現代、ポストなどがいっせいにタキさんを犯罪者として暴く特集を組んだ。いずれも4~5ページでタキさん総攻撃だ。
タイトルはそれぞれ「二丁目のオカマの女帝、ついに逮捕!」 「二丁目の麻薬の元締め、兼、売春の元締め、兼、オカマの女王、ついに逮捕!」 「とんでもないオカマの女帝、ついに逮捕!」なんていう派手なもの。
本当のところはタキさん個人がどうのこうのというより、当時の二丁目全体が麻薬や売春などでヤクザの食い物にされていたのだ。
若造だったおれは強い興味を持って、週刊現代だったかポストだったかの編集部に電話してタキさんの連絡先を聞いた。当時は個人情報保護法ができる前だったので素直に教えてくれた。
さっそくタキさんの自宅に電話。
トルルルルルルルル・・・・・・と、かなりの時間出なかったが、
ガチャ、やっと出た。
フミ「もしもし、タキさんですか?」
タキ「・・・・・・」
フミ「フミヤスといいます。週刊誌でタキさんのこと読みまして、すごく興味を持って、電話しました。」
タキ「え?・・・・・・」
フミ「タキさんのこの電話番号は週刊誌の編集部から聞きました。」
タキ「えっ! あんた、あの記事見て、ビビらずに電話くれたの!?」
フミ「ええ、まあ(笑)」
タキ「あんた、根性あるわね!(笑) 気に入ったわ! いまからウチにいらっしゃいよ。」
というわけで、恵比寿にあったタキさんの自宅に伺った。
午後のことだったが、彼女のマンションには裸のオカマや女の子が寝転がっていた。今朝まで乱闘していたのだろう。
コーヒーを出してもらって、すぐに打ち解けると、
タキさん曰く:
あたし今回の逮捕で何もなくなっちゃったんだけど、いい旦那を掴まえたんで、これから二丁目に新しいお店を出そうと思ってるのよ。
いままでの二丁目とぜんぜん違うお店。まったく素人の早稲田大学の1年生の男の子にママをやらせるのよ。かおりって言うのよ。ママといってもあたしがつきっきりだけど。
フミヤスさん、あんた、第1号のお客で来てよね(^^)
というわけでいまの明るい女装子文化がスタートし、おれは栄えある第1号の客の一人となった(笑)
閑話休題!
昨日は、旧横山大観邸の桜はまだ少ししか咲いていなかったが、
不忍池から国立博物館の庭園に足を延ばすと、みごとな桜が咲き誇り、大勢の花見客とともに春爛漫を満喫できた。