どうやってフィクサーになったか
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- 剛腕のツッパリを見せろ!
左から、フミヤス、シティバンクE氏、石崎文吾先生
(去年、あるパーティ会場で)
先日、T先生、S先生とおれの3人で大阪に出向いた。
T先生はおれのブログではレギュラーなのでお馴染みかもしれないが、検察・警察のドンで現在の日本の政財界で最強のフィクサー。いまや安倍内閣の閣僚から広域暴力団に至るまでT先生に逆らう者はまずいない。
S先生もレギュラーだが、日米合同演習の日本側総司令官で防衛省制服組のドン。防衛省のフィクサーと言っていい。世界最大の軍事産業アメリカレイセオン社の上級顧問も長らく務めたので国際ユダヤの動向を理解できる日本で唯一の提督閣下である。
大阪に出向いたのは大阪有数のフィクサーM先生と打合せするため。M先生は関西に本部を置く巨大団体の頂点にいる人物で、私設のCIAのような組織を手足のように駆使する。
もちろん打合せの内容はここには書けないが、大阪の太閤園の個室でグラスを傾け、途中、注文しておいたT先生の地元の日本酒も登場して話に花が咲き、2時間の予定を超えて3時間近くを歓談した。
フィクサーや政財界の大物が揃うと、必ず、おれが所属する企業グループの先代会長、K会長の話題が出る。
K会長が亡くなって6年になるが、いまだにその存在感は薄れることがない。
K会長はウチの企業グループ(世界中に50社)の創業オーナーであると同時に、田中角栄首相から森喜朗首相までの歴代内閣のフィクサーでもあった。
森さんが退陣すると、小泉さんとは気が合わないということで、以後亡くなるまでの十数年は政界からは距離を置いていた。
K会長はおれを会長の片腕に育てようとしてくれた。またオレの実の親父と同い年だったこともあって、よく飲みに連れて行ってくれた。
K会長は身長185cm、スマートで、数百万円の黒系のスーツをバリッと着こなし、運転手は空手8段の躾の行き届いた男だった。
だから、会長とおれの二人で黒のベンツから銀座の街に降り立つとマフィアと間違われるような雰囲気があった。
そのK会長が政界のフィクサーとして登場したのは40数年も前のこと。おれなんかはまだ小学生のガキのころだ。
時の絶対権力者は田中角栄元首相。
最近のヘッポコ総理たちとはわけが違う。田中角栄さんは政界、財界、裏社会まで力で支配した本当の権力者だった。
ときに40代の少壮実業家だったK会長(当時はK社長、以後K社長と表記する)がはじめて田中角栄さんのパーティに出席したとき、田中先生は会場で握手しただけでK社長の力量を見抜いた。田中角栄という人は一瞬で相手を見抜く力があったのだ。
田中先生が次のパーティ会場に移動するのを参加者一同が拍手で見送ったあと、まだパーティたけなわの会場に田中先生の秘書が一人戻ってきて、K社長に「次のパーティ会場の○○ホテルの個室で田中が待っております。一緒においでください」と言ったのだ。
K社長がそのまま案内されていくと、すぐに田中先生も個室に現れ、また強い握手を求められ、機関銃のように「ある話」をまくし立てられた。
その話とは、
関越自動車道を開通させるために新潟の東山にトンネルを掘らなければならない。道路工事はもう東京から東山までできている。
しかし某暴力団がその東山を占拠して工事が止まっている。
怒った田中先生は広域暴力団住○連合の会長に電話して「あいつらをどかせ」と依頼した。
ところが東山を占拠している暴力団も必死で、もう一つの広域暴力団稲○会に助けを求め、稲○会も乗り出してきた。
こうして東山を挟んで住○連合と稲○会の睨み合いが始まってしまい、工事は完全に膠着してしまった。
田中先生は以上の状況を説明すると、K社長に曰く「それでK君、君がこの東山の件を解決しろ。君ならできる。ただし国からは1円も出ない。君の懐でやれ。それじゃ頼んだぞ!」
田中先生は言うだけ言うとパーティ会場に去って行った。
若かったK社長は感激して、住○連合に払うみかじめ料、稲○会に払うみかじめ料、それから関係者の処理費、占拠している暴力団にすずめの涙の利益・・・・・それらを合計して当時の金で7億円とはじき出した。
そして自分の金7億円を秘書たちに持たせて山を登った。
K社長は占拠している暴力団の幹部を集め、そこに7億円を積んで見せ、
そして曰く「この書類に署名してください。そしたらこの金を置いて帰ります。そしたらあなた方は住○連合にも稲○会にも顔が立ち、他の関係者もみな納得させて、あなた方もわずかだが利益を持って山を下りられます。」
「もし否なら私はこの金を持って帰ります。二度と来ません。あと何十年でも占拠を続けてください。」
彼らはすでに何年も占拠していてずっと一円の収入もない。しかも住○連合と稲○会と警察が睨み合っている状況ではいくら困窮しても山を下りられない。
そこで後に田中先生を唸らせた一言、K社長曰く 「1分間だけ待ちます。」
こうして57秒で話がつき、関越自動車道は無事開通することとなった。
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おれはK会長ほどの理解力、洞察力、決断力、胆力などを備えた男にはいまだにお目にかかったことがない。
K会長亡き後、しばらくおれが会長室を使わせてもらっていたこともあり、最近はおれもフィクサーとして紹介されることもあるが、恩師K会長が生きていれば80代半ば、比べるのもおこがましい。
いまウチのグループはK会長の次男(おれと同世代)が後を継いで二代目オーナーとなり、盤石の組織となっている。