フミヤス・サンタゲバラ クラブ

人間と世界を動かしている秘密と真相を勝手に書いていきます。 このブログには実在の政財界のフィクサー、実力者、著名な実業家、メスネコなどが登場します。

大和魂(3)不滅!日本人の愛のこころ

テーマ:
 

 

村田諒太vsエンダム戦  日本人の愛の心は生きている
 
 
 

 

 

すべて悪かったのは日本人であったと決められた

 


1945年、日本の敗戦とともに、国際ユダヤ資本家と白人エスタブリッシュメントが犯してきた悪逆非道は、すべて覆い隠されることとなった。
 
そしてすべて悪かったのは日本人であったと決められた。
 
 
 
もちろん事実は、国際ユダヤ資本家とその子分の白人エスタブリッシュメントが400年にわたって世界中を植民地にし、現地の人々を虐殺し、土地と鉱山を略奪し、極貧に陥れ、プランテーションの奴隷にし、教育を奪い、武器貿易や奴隷貿易やアヘン貿易で莫大な利益を上げてきたわけだ。
 
しかし1905年、その国際ユダヤ・白人エスタブリッシュメントの支配する大国ロシアを、世界で初めて、極東の小国日本が打ち破った。
 
インドの人々も、インドネシアの人々も、ベトナムの人々も、タイやビルマミャンマー)の人々も、他のアジアの人々も、アラブ諸国の人々も、アフリカ諸国の人々も、中南米諸国の人々も、東欧諸国の人々もみな日本の勝利に感涙した。そして日本人を心の支えとして、独立の戦いに立ち上がっていった。
(→大和魂(1)甦る日本人の魂
 
1941年以降、全アジアの人々は日本人によって指導され、日本人と共に戦って、次々にユダヤ・白人から独立を勝ち取っていく。そしてアラブの人々もアフリカの人々もみなこれに続いたのである。
(→大和魂(2)愛の発露・己は倒れても
 
 
 
しかし1945年、日本自身はスパイと裏切り者によってボロボロにされ、敗北した。
 
以降、国際ユダヤとその子分の白人エスタブリッシュメント、その子分の中国共産党、その子分の韓国は、真実の歴史を根底から消し去って「日本人が悪い。日本人が世界中の人々を虐待し略奪し虐殺した」という噓っぱちの歴史をねつ造し、日本人と全人類を洗脳することに全力を挙げることとなる。
 
 
 
安倍首相などがちょっとでも真実の歴史に言及するとすぐに中国共産党や韓国政府が「安倍は歴史修正主義者だ!」とレッテルを貼って大騒ぎするのは、「1945年にわれわれ戦勝国は日本が極悪非道であるという歴史にすると決めたんだから、敗戦国の日本がそれを修正するな!」と言っているのだ。
 
 
・・・・・・・・・
 
 

徹底的に自虐史観を刷り込まれる日本人

 


1945年以降、米軍GHQはこのインチキの歴史(日本人が悪かったとする歴史=自虐史観)を日本の戦後教育や戦後マスコミによって徹底的に日本人に刷り込み、洗脳していく仕組みを作った。
 
そのインチキに異議を言う者や真実を公言する者はことごとく追放され(公職追放)、お上(米軍GHQ=吉田茂等)の言うとおりにインチキ史観(自虐史観)を公言して日本人同胞を悪者にする者、すなわち日本人同胞を卑下する卑怯者たちが取り立てられた。
 
公職追放は、政治家や軍人はもとより、マスコミ、学校、大企業に至るまでことごとく実施され、これまで日本社会を支えてきた20万人以上の大人たちが追放されたのだ。
 
 
 
こうして戦後日本は首相から大手新聞社、テレビ局、大企業などの社長や役員、大学の学長から小学校の校長に至るまで、ことごとく卑怯者が支配者・経営者の地位を占める社会となってしまった。
 
この公職追放は後に解除されるが、すでに全ての管理職の地位は「卑怯者」から「追随する卑怯者」へとバトンタッチされ続けており、日本を支えてきた本物の日本人20数万人は復帰するポストもなくなっており、無念を噛み締めながら閑職に甘んじ、引退を余儀なくされていったのである。
 
以降、戦後日本においては、つい最近まで、出世するのはほとんど卑怯者であった。
 
とくに電通などの広告代理店、新聞社、テレビ局などのマスコミの経営陣は今日現在も卑怯者によって独占されていることは分断の時代を生きる(19)マスコミの洗脳を脱却しよう!に書いたとおりだ。
 
 
 
戦後、現在に至るまで、日本が世界に誇る技術は全て中小企業から生まれている。なぜ日本では中小企業からしか技術が生み出されないのか?
 
それは大企業では経営を支えてきた真の経営者たちが公職追放によってみないなくなってしまい、インチキ史観におもねる嘘つきで無能な卑怯者たちが取り立てられて経営陣を占めてきたからだ。物事の真実を見極める能力がないのだ。
 
だから戦後に急成長した松下電器(ナショナル)、ソニー、ホンダなどはみな1945年当時は中小企業であった。もしくは創業する前であった。それで公職追放から免れ、卑怯者に占拠されることなく急成長したのである。
 
日本の戦後の驚異的な急成長を支えたのは、松下幸之助井深大本田宗一郎ら中小企業から成長していった本物の日本人たちである。
 
 
 
しかし、ほとんどの善良な日本人は、卑怯者が支配する社会の中でインチキの歴史(自虐史観)に洗脳され、日本人が悪いのだと信じ込んでいく。
 
日本人が世界のすべての民族の心の拠り所であったこと、心の支えであったことが、いや、じつは今現在も日本人が世界のすべての民族の心の拠り所であり心の支えであることが、今、忘れ去られようとしている。
 
 
・・・・・・・・・
 

 

 

徹底的に反日教育を刷り込まれる韓国人


 
しかし、世界では、諸外国では全く違う。
 
日本人の多くは自虐史観に洗脳されて、日本人が悪かったから世界中の国々が日本人を恨んでいると思い込んでしまっているが、事実はまったく違うのだ。
 
いま現在も、世界の多くの人々は日本人を敬愛している。
 
インチキの歴史を捏造し、日本人を貶め、日本人への敵愾心を国民のアイデンティティにまでしてしまった国は、全世界の中で、韓国と中国だけである。
 
 
 
なぜ韓国と中国はそんなことになってしまったのか?
 
今回はまず韓国に焦点を当てて、韓国がどのようにしてインチキの歴史を捏造し、それを韓国民族のアイデンティティにまでしていったかを見てみたい。
 
 
 
まず戦前の日本統治時代の韓国人はどうだったかというと、
 
じつは!
 
日本統治時代の朝鮮半島では、韓国人の生活は世界でも稀に見るほど静かで平和であり、日本人を敬愛し、日本人と韓国人は尊重し合って仲良く暮らしていたのである。
 
 
 
本当か!? 
 
信じられない!
 
という人がほとんどだろう。
 
 
 
しかし考えてみてください。
 
前回分断の時代を生きる(19)マスコミの洗脳を脱却しよう!でも言及したが、
 
日本の統治政策は、
 
1.韓国人の農地を奪わない。韓国の農地は最後までほとんど韓国人が所有していた。
 
2.だからプランテーションも作らず、韓国人を奴隷にもしなかった。
 
3.識字率が低い韓国人のために4000校もの学校を建設し、ソウル大学まで設立した。
 
4.水道、道路や鉄道網、郵便制度、通信網をはじめ、あらゆるインフラも日本本土と変わらぬ体制の整備を進め、韓国人の産業を育成した。
 
5.韓国人を虐殺しなかった。
 
6.韓国王家を日本の華族の最高位である公爵として迎え、親戚として交誼を深めた。
 
というものである。
 
イギリスなどの悪魔のような悪逆非道の植民地統治に比べたら、日本の統治は神様か仏様のような友情と慈愛に満ちた統治なのだ。
 
当時の韓国人が静かで平和で、日本人と尊重し合って仲良く暮らしていて当然なのだ。
 
 
 
それじゃなぜ今の強烈な反日韓国ができたのか?
 
 
 
その答えは、韓国初代大統領の李承晩(りしょうばん)にある。
 
 
 
李承晩はアメリカの白人エスタブリッシュメントの子分だ。
 
米英の国際ユダヤとその子分の白人エスタブリッシュメントは日本人の実力を心から恐れていた。
 
戦後のインチキ教育で日本はアメリカに敵うはずがないと思い込まされている日本人が多いが、大和魂(2)愛の発露・己は倒れてもで述べたとおり、1941年当時日本の戦力はアメリカを圧倒していた。吉田茂山本五十六などのスパイにやられなければアメリカは早期に降伏し、国際ユダヤと白人エスタブリッシュメントの極悪非道は白日の下に晒されたのだ。
 
米英の国際ユダヤ・白人エスタブリッシュメントは震え上がり、戦後、日本を徹底的に弱体化することに全力を挙げるのである。
 
その最大の要が、日本人に忠誠忠実であった韓国を日本から引き剥がし、逆に強烈な反日国家に作り変えることであった。
 
 
 
韓国の没落両班(没落士族)の家に生まれた李承晩は狂信的に両班の利権回復を夢見ながら、33年ものあいだ韓国を離れて外遊を続け、アメリカの白人エスタブリッシュメントの子分となっていたが、
 
1945年、日本敗戦と同時にアメリカ政府(白人エスタブリッシュメント)によって朝鮮半島に送り込まれ、韓国の初代大統領に就任した。
 
 
 
李承晩はまず「反民族行為処罰法」を作り、親日的な人々をすべて処罰し、追放した。
 
これは政府内にとどまらず、民間の隅々まで全社会的に徹底的に行われた。
 
すこしでも親日の言動をした者、親日の思想を持つと思われた者はことごとく地位も仕事も奪われ、もはや親日を口にする者は全くいなくなったのである。
 
そして日韓併合中の歴史を「事実に反するインチキの歴史」に作り替え、すなわち「韓国人は日本人に虐待され略奪され虐殺されたとするインチキの歴史」を捏造し、徹底的な反日教育を行い、韓国国民を徹底的に洗脳していった。
 
これに逆らう者はことごとく処罰され追放されたので、反論は皆無であった。
 
もはや反日でなければ韓国では生きられないようにしたのである。
 
 
 
日本における米軍GHQによる公職追放と同じなのだ。日本社会の管理職が延々と卑怯者に受け継がれていったように、韓国では管理職が延々と嘘つき反日主義者に受け継がれていったのである。
 
その結果、李承晩のこの歴史修正主義は2017年現在に至るまで受け継がれ、経済的には日本に対して韓国製品の輸出を行いながら、いまだに「日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法」のようなインチキ法律(反日法)を作って国内の親日派を公然と弾圧している。
 
 
 
 
 
洗脳された国民側の様子を知るために、呉善花さんの話を聴いてみよう。
 
呉善花さんは1956年に韓国の済州島で生まれ育った。現在は日本の拓殖大学の教授である。
 
・・・・・・・・
 
私の幼い頃、母は戦前に父と共に日本で働いた時分の思い出を、懐かしみながら、日本人への親しみを込めながらたびたび語ってくれた。1960年前後のことである。
 
私が育ったのは済州島の海村だったが、村の人で日本を悪くいう人はいなかった。村の祭りになると、私はムーダン(巫女)のおばさんの勧めで、母に教わった日本語の単語を大人の前で披露してみせた。いつも拍手喝采で、ムーダンのおばさんから「よく知っているね、偉い子だね」と頭を撫でられたものだ。
 
(そう、1960年代の韓国の農村では、事実、まだ親日の心が残っていたのである。)
 
 
 
それが、私が小学校に入り、学年を重ねていくにつれて「日本人はいかに韓国人に酷いことをしたか」を教えられていくことになる。教室の黒板の上には、真ん中に大統領の写真が掲げられ、その両脇に「反共」「反日」と大きく書かれたポスターが貼ってある。反共の「共」はそのまま北朝鮮を指し、いかに北朝鮮が邪悪で恐ろしい国なのかを教わり、その一方で日本人がいかに韓国人に対して悪いことをしたかを教わる。
 
後に知人となった台湾の人は「やはり学校で凄まじい反日教育を受けたが、その一方、家庭や地元の村で聞く話はその反対のことばかりだったから、自分は反日には染まらなかった」と言っていたが、私の場合はそうではなかった。
 
家へ帰って、私が学校で教わったそのままに「日本人って酷い人たちなのだ」と語ると、父も母も無言だったり、適当にあいづちを打つばかりだった。村の大人たちも大方はそんなふうであった。私はそれが不満で、「お父さんやお母さんや村の大人たちは学歴の低い田舎者だから、何もわかっていないんだ」と思うようになっていったのだ。
 
田舎のおばさんおじさんたちほど反日意識が弱いのは、彼らには学がなく無知であるからだ、という言い方は、一般にもよくされていた。高い教育を受けた者ほど反日意識が高いというのが常識だった。私も、勉強をすればするほど次第に反日意識を強く持たねば、という気持ちになっていった。
 
私は学校教育を通して、それまで知らなかった新しい世界の見方を知ったと思った。旧世代の韓国人、旧時代の韓国との別れだった。私たち立派な知識を身に付けた新世代韓国人がこれからの新しい韓国を建設するんだ。しだいにそういう意識が芽生え、私の中から急速に日本への親しい感情が消え去っていった。
 
授業を通して、父母たちの世代は土地を収奪された、日本語教育を強制された、独立を主張して殺害された、拷問を受けた、強制徴用された(すべて嘘っぱちだ)と知らされていく毎に心にやってくるのは、自分自身の身を汚されたかのような、いいようのない屈辱感であり、そこから湧き起こる「決して許せない」「この恨みは決して忘れてはならない」という、ほとんど生理的な反応と言える怒りであった。
 
日本によって民族が蹂躙された、奴隷のように扱われた、人間の尊厳に大きな傷を受けた。酷すぎる。絶対に許せない。という思いで心がいっぱいになる。
 
もちろんそれは人ごとではないからだ。同じ血を分けた韓国人であり、お父さん、お母さん、お祖父さん、お祖母さんたちのことだから、自分がやられたのと同じ気持ちになってくる。我が身を切り裂かれるような辛く苦しい気持ちになり、激しい怒りが込み上げてくる。そうか、日本人はそんなに「侵略的で野蛮な民族的資質」を持つ者たちかと、心から軽蔑していくことになる。
 
これは歴史教育ではなく明らかな情緒教育である。歴史認識以前に、反日情緒・反日心情をしっかり持つことが目指されているのである。
 
(ここまで)
 
・・・・・・・・・
 
 
 
如何だろうか?
 
こうして韓国人は、歴史教育ではなく、インチキの捏造歴史に基づく徹底的な反日の情緒教育を受けて、強固な反日情緒・反日心情を持つ国民へと変貌していったのである。いや、いまも変貌し続けているのだ。
 
これに異議・異論を唱える者はことごとく粛清され、追放される。だから異議も異論も存在しない。
 
 
 
しかも韓国の反日教育はこれにとどまらない。この情緒教育がさらに韓国の民族主義と結びついていくのである。
 
また呉善花さんの話を聴いてみたい。
 
・・・・・・・・・
 
反日教育反日民族主義教育によってさらに本格化される。
 
その第一の前提におかれるのが、「生来の野蛮で侵略的な資質をもった日本民族」という概念である。この日本民族の概念は、日韓関係の歴史を次のように捉える歴史観から導き出されるものだ。
 
韓国は文化も何もなかった時代の日本に、儒教・仏教・技術をはじめとする高度な文化を伝えてあげた。にもかかわらず日本はその恩を忘れ、古代には「神功皇后による三韓征伐」や「任那日本府」があったなどの捏造記事を国史に記載し、中世には豊臣秀吉による朝鮮侵略が行なわれ、近世末には国学者らにより韓国征伐論が唱導され、明治初期には政府内に征韓論が火を噴き、韓国の江華島に砲撃を加えて戦争を仕かけ、明治末に韓国を併合して36年にわたる暴力的な支配を行なった。
 
このように歴史を連続させ、この流れを一連のものとみなして、その根本的な原因を「日本民族の野蛮で侵略的な資質」に求めるのが、韓国の反日民族主義史観である。これが反日教育の柱となる。
 
朝鮮半島には、古くから日本を蔑視してきた歴史がある。朝鮮半島が奉じた中華世界では華夷秩序が正しい世界システムとされるからである。
 
すなわち世界の秩序は「文明の中心=中華」と「周辺の訓育すべき対象としての侵略的で野蛮な夷族」で構成される、というのが華夷秩序の基本的な世界観である。中華世界の中心にあった中国とその忠実な臣下だった朝鮮半島は、日本を「周辺の訓育すべき対象としての侵略的で野蛮な夷族」とみなし続けてきたのである。
 
道徳的に優れた上の者が、道徳的に劣った下の者を、常に訓育・感化していかなくてはならないという儒教の考えが侮日観を形づくっていて、これが韓国の対日民族優越意識の根本にある。
 
さらに韓国には、自らこそ中華の正統なる継承者であるという小中華主義の誇りから潜在的な民族優越主義がある。そのため対日民族優越意識がいっそう強固になっているといってよい。
 
竹島問題にしても、靖國神社をめぐる問題にしても、慰安婦問題にしても、本来は我々の下に立つべき日本人が我々を下に見て我々をばかにしていると、そういう感覚からの反発が第一となっている。
 
しかし韓国の民族主義はそこから一歩も進まない。民族主義の内容が反日と結びついた反日民族主義だからである。反日なくしては韓国の民族主義が成り立たないのだ。反日の理念を核に国民国家の意識を形成してしまったのが韓国である。こんな(異常な)国は他に例がない。

学校教育で身に付いた、反日感情に裏打ちされた反日意識は、成長するに従い、韓国の社会的・国民的なコンセンサスであること、韓国人ならば誰もが持つ常識であることを自覚していく。
 
異議・異論と一切出会うことがない社会環境で、疑問の余地なく韓国人としての自分のアイデンティティとなっていく。
 
こうして私たちは「反日心情・侮日観」と「唯一の正しい歴史認識反日民族主義」の混合体を強固に抱えもつ、「新世代の韓国人」へと成長していった。
 
(ここまで)
 
・・・・・・・・・
 
 
 
再度、如何だろうか?
 
この情緒教育と民族主義が結びついて反日に凝り固まった韓国人の心は容易に氷解するものではない。
 
日本で大学教授にまでなった呉善花さんでさえ、この洗脳された自己の構造に気づき、脱却するまでには長い年月と苦しみを要したほどだ。
 
 
 
アメリカに留学した韓国人女性の手記を読んだことがあるが、
 
彼女がアメリカの大学で日本の極悪横暴な占領政策について論文を書いたところ、アメリカの教授からその間違いを指摘されたそうだが、そのとき彼女は怒りが爆発して火病(恨みが凝り固まって疾患を起こす韓国人特有の病気)でひっくり返ってしまい、その後も何年間もアメリカ人相手に日本人の極悪横暴さを証明するために怒りまくり続けたという。
 
彼女は、真実に気づき、納得できるまでには、5年以上の時間と膨大なエネルギーを要したと述べている。
 
 
 
だから現在の韓国の管理職(より高度に強固に反日教育を受けた人たち)の間では、日本に送るべき義援金横流しするなんてことが平然と起こる。
 
たとえばソウル衿川区では、日本の東日本大震災のために集まった義援金92万円について、その20%しか日本の被災地に送らず、70%は独島(竹島)の守備活動に寄付し、10%はインチキ元従軍慰安婦に寄付してしまう始末だ。(※週刊ポスト2011年4月29日号)
 
 
 
ちなみに、呉善花さんはこのように韓国の真実を公言しているため、現在、韓国当局のブラックリストに載って韓国への入国が拒否されている。
 
おれも、このブログが韓国当局の目に留まれば、ブラックリストに載って韓国への入国が拒否されるかもしれない(笑)
 
 
・・・・・・・・・
 
閑話休題

 

 

 

仕組んだのは誰かーー黒幕アメリカの国際ユダヤーー
 


日本統治時代の韓国人は、呉善花さんの記述にもある通り、事実、日本人を敬愛し、日本人と尊重し合って仲良く暮らしていた。
 
そこへ李承晩を送り込んでインチキの歴史を捏造し、日本人への敵愾心を韓国民のアイデンティティにまでさせたのは、アメリカであり、アメリカの日本弱体化戦略によるのである。
 
竹島問題や尖閣諸島問題で、アメリカは日本に対しては日本を支持するような素振りを示すが、何のことはない、もともと韓国や中国が日本に敵対するように仕組んでいるのはそのアメリカなのだ。
 
もちろんアメリカ政府をそのように動かしてきたのは、アメリカ国民の主体的意思ではない。多くのアメリカ国民は毎日一生懸命に働き、日曜日には教会に通う善良な国民だ。
 
アメリカ政府をそのように動かしてきたのは、世界中の人々を虐待虐殺して富を奪い続けてきた国際ユダヤと白人エスタブリッシュメントである。自らの悪逆非道を覆い隠し、日本に責任転嫁し、日本を弱体化して封じ込めるためだ。
 
 
 
しかし、現在、呉善花さんや先述のアメリカに留学した韓国女性のように、長い年月と大変な苦労を伴いながらも、反日の洗脳が解けていく韓国人が後を絶たない。
 
現在の韓国のような異常な嘘っぱち社会が永続するとは思われないから、どこかで韓国は大きな転換点を迎えることになるだろう。
 
 

 

親日感情が守られた国々ーーパラオのケースーー

 

 

それに韓国と中国以外の世界の国々は、国際ユダヤ、中国、韓国による激しい反日プロパガンダ靖国問題への攻撃やねつ造慰安婦像の設置など)にもかかわらず、根本的にまたは潜在的親日である。 

 
日本人を敬愛し、心の拠り所としてきた真実の歴史が底流にあるからである。
 


たとえば台湾も韓国と同じく戦前は長らく日本の統治下にあったが、台湾の人たちは韓国人とはまったく違う。
 
日本の東日本大震災のとき、人口わずか2000万人の台湾の人たちから日本の被災地に届いた義援金はじつに200億円を超え、全世界から寄せられた義援金全体の半分を占めた。
 
人口3億人のアメリカから日本の被災地に届いた義援金は台湾に次いで第2位だったが、その金額は30億円である。
 
台湾の人たちの日本人への義援の心は圧倒的に強い。
 
 
 
また南洋の国々も同じく戦前は日本の統治下にあったが、どの国も現在に至るまで深い親日国家として知られている。
 
とくにパラオのいまの国旗は日本の「日の丸」にならって制定されているほどだ。パラオの人々は敬愛する日本に遠慮して太陽ではなく月をモチーフとし、青い海に黄色い満月を配したのである(→下の画像)。
 
この事情は、すでに既述したインドネシアでも(→大和魂(2)愛の発露・己は倒れても)、ミャンマーでも(分断の時代を生きる(19)マスコミの洗脳を脱却しよう!)、その他の国々でもみな同じである。
 
 

パラオの国旗と日本の日の丸を振るパラオの子どもたち
 
 
 
・・・・・・・・・
 
 
最後に、パラオの人たちがどのようにして日本人と交友し、戦後も親日の心が維持されたかについて見てみよう。
 
 
 
パラオは長らくスペイン人やドイツ人の極悪非道にして過酷な支配を受けてきたが、1914年に日本によって解放され、その後31年間、日本が統治した。
 
日本は、台湾や韓国を統治したのと同じく、パラオでも学校を建設し、パラオの子どもたちに公教育を受けさせた。
 
日本の教育は厳しかったが、小学校1年生でも掛け算九九を全部暗唱でき、教育水準の高さは日本本土と変わらなかったのである。
 
 
 
さらに日本人はパラオの人々のために稲作、ナス、キュウリ、サトウキビなどの栽培を教え、
 
これも台湾や韓国を統治したのと同じく、道路を作り、橋を架け、電気も電信も電話も引いた。
 
パラオの人々は(台湾の人々や当時の韓国の人々と同様に)日本人と仲良なり、親しくなって、一緒に仕事をし、一緒に笑い、一緒に日本の歌を歌った。
 
この日本統治時代の友好と平和は、現在のパラオの教科書にも「日の丸の旗のもとに」と題して36ページにもわたって記載され、賞賛されているのである。
 
 
 
しかし、太平洋戦争の終盤、山本五十六アメリカのスパイのために日本の国力は壊滅状態となり、日本の敗戦は必至であった。
 
 
 
ここからは我空徳生さんの記事を一部引用します。
 
・・・・・・・・・
 
日本人との友情を育ててきたパラオの人々は、
 
戦争末期、日本の敗勢が濃厚になっていくことに深く憂慮した。
 
そして村人同士で話し合い、奮起し、日本人を助けるために村の代表の青年たちが日本軍の基地のあるペリリュー島に舟を漕いできた。
 
日本軍の基地の守備隊長中川州男(なかがわくにお)大佐を訪れると、「自分たちも一緒に戦わせてほしい」と申し出たのである。
 
 
 
しかし、
 
それを聞いた中川大佐は激高して叫んだ。
 
「帝国軍人が貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
 
パラオの代表の青年たちは唖然とした。
 
 
 
舟に乗って帰る日が来ても、日本人は誰一人見送りに来ない。
 
パラオの青年たちは悄然と舟に乗った。
 
日本人は仲間だと思っていたのに、見せかけだったのか!
 
真ごころからの友情で日本人を助けようと思って来たのに・・・・・・
 
裏切られた思いが込み上げ、みな悔しさに涙がこぼれた。
 
 
 
しかし!
 
舟が島を離れたとき、日本兵全員が浜に走って出てきた。
 
そして一緒に歌った日本の歌をみんなで歌いながら手を振って彼らを見送ったのである。
 
そしてその先頭には笑顔で手を振るあの中川大佐がいた。
 
 
 
その瞬間、パラオの青年たちは悟った。
 
あの言葉は自分たちを救うためだったのだ、と。
 
 
 
パラオの人々は、長いあいだ白人エスタブリッシュメントによる虐殺と略奪と奴隷化の残虐非道な支配に屈し、その後31年間、日本人による友情溢れる統治を身をもって体験してきた。
 
だから大人も子どもも日本軍と一緒に戦う決意をしていた。
 
しかし日本軍はパラオの人々全員を無理にでも安全な島へと退避させたのである。
 
 
 
アメリカ軍提督チェスター・ニミッツの戦記によると、中川大佐率いるパラオの日本軍は、アメリカ軍が今までどこでも経験したことがないほどの凄まじい徹底抗戦を敢行した。
 
わずか1万人の日本軍は、10倍の戦車、100倍の重火砲、200倍の航空機を有する5万人のアメリカ軍に対し、驚異的に勇敢で且つ組織的な戦闘を展開し、その圧倒的戦力兵力のアメリカ軍を圧倒したのである。
 
アメリカ軍の主力である3万人の第一海兵師団は崩壊して撤退に追い込まれ、アメリカ軍は何度も人員と武器を補充せざるをえなかった。
 
日本軍は補充人員も補充の武器もない状況のまま、じつに2カ月以上も戦い抜いた。

そして全ての日本軍兵士が最後まで勇敢に戦って、全員玉砕した。
 
 
 

戦闘は終わった。
 
アメリカ兵は日本人兵士の死体を無残に放置した。
 
 
 
しかしパラオの人々は日本人兵士の死体を見て泣いた。
 
そして泣きながらその遺体を丁寧に手厚く葬り、現在に至るまで、それら墓の清掃を心がけてくれているのである。
 
 
 
1945年、日本は敗北し、パラオアメリカの統治領となった。
 
アメリカは日本がパラオに築いたものをすべて破壊し、パラオの人々に対して日本的なものをすべて否定した。
 
そしてパラオの人々にも、「パラオ人は日本軍によって虐待され略奪され虐殺された」とするねつ造の教科書を押しつけてきた。
 
 
 
しかし、パラオの古老たちは「そんな事実はない」とにべもなく否定し、アメリカがねつ造した歴史はパラオの人々には浸透しなかったのである。
 
そして浸透させないまま、1994年、パラオの人々は日本の日の丸にならった国旗を制定し、パラオ共和国としてアメリカから独立したのである。