フミヤス・サンタゲバラ クラブ

人間と世界を動かしている秘密と真相を勝手に書いていきます。 このブログには実在の政財界のフィクサー、実力者、著名な実業家、メスネコなどが登場します。

西郷どん(せごどん)

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西郷隆盛ほど日本人のこころを体現した人物は他にいないと思われる。

 

そこで、南洲翁遺訓から西郷の持つ日本人のこころに迫り、その思想を支えた陽明学キリスト教の類似性を明らかにしていきたい。

 

そしてその上で、その両者の類似性に潜むものは何か?

 

じつはそれは人類の潜在意識の核心である「縄文日本人のこころ」そのものに違いない、ということを詳らかにしていきたい。

 

さて、この試みは成功するか、失敗するか、いや、じつはそんなことはどうでもよくて、

 

西郷流にいえば、「これは天の道なのであるから、そこには上手も下手もなく、我が身のことも二の次である。天の道である以上、できないということはない。ただひたすら道を行うのみ。」(南洲翁遺訓の二十九)ということになるのだ。

 

 

 

 

《 西郷に貼りつけられた嘘っぱちのレッテルを剥がす 》

 

西郷隆盛西南戦争で敗れたため、大久保や伊藤の明治政府によって「西郷は征韓論を主導した侵略主義者で、新時代の青写真を持たない時代遅れの軍人だ」というレッテルを貼られた。

 

このレッテルは、70年後の太平洋戦争の敗戦後、日本人のこころを形骸化しようとするアメリカ・GHQによって再度西郷に貼り付けられる。

 

その結果、さらに70年後の現在に至るも、日本人は、西郷に貼られたレッテルと、おのずと懐かしく感じる西郷どんの実像とのあいだで、西郷に対する思いが揺れ動いている。

 

そこで、本項では、まずこの嘘っぱちのレッテルを剥がしておきたい。

 

 

 

1.まず西郷は征韓論を主導した侵略主義者であるというレッテルを剥がす。

 

事実はまったく逆で、西郷は「侵略は野蛮である」と断言しており、征韓論を拒否している。

 

西郷曰く 「西洋諸国は野蛮である。真の文明国であるならば、未開の国に対して慈愛の心をもって接して開明に導くはずだ。しかし西洋諸国は未開の国を侵略し、搾取し、残忍に振舞っているのだから野蛮そのものである。」(南洲翁遺訓の十一)

 

事実、西郷は明治維新においても、徹底抗戦する者は仕方ないが、そうでなければ江戸占領も無血で行い、かつての天敵であった庄内藩なども対等の友人として接した。

 

だから韓国に対しても西郷は同じ姿勢で臨んでいる。

 

当時、客観的に見れば日本にとっても韓国にとっても、ロシア、イギリス、フランスなどの列強による侵略に対抗するためには、日本と韓国が同盟または合邦することが絶対的に必要であった。

 

しかし大国への隷属に慣れた蒙昧な韓国李王朝は日本政府の働きかけを拒否する。

 

板垣退助らは軍事力による征韓論を強硬に主張したが、しかし西郷は「いや、威儀を正して自分一人で韓国に使節に立ち、誠心誠意をもって大同盟を実現する」と言って板垣らの征韓論を退けている。

 

板垣らが「使節となって殺されたらどうするのか」と反対し、さらに強硬に征韓論を主張すると、西郷は「もし自分が殺されたときは板垣どんの好きにすればよい」と言って、板垣を説得した。

 

 

しかし西郷は殺されるなどとは微塵も思っていない。

 

西郷曰く 「人は、上手にできるか、自分の身は安全か、などということに心を奪われがちであるが、実現しようとしているのはそういう事ではなく、天の道なのであるから、そこには上手も下手もなく、我が身のことも二の次である。天の道である以上、できないということはないのだ。ただひたすら道を行うのみ。」(南洲翁遺訓の二十九)

 

そう、西郷を突き動かしているのは人間的な損得ではなく、天命である。だから侵略もへちまもない。あるのはただ天の大きな愛と大きな和のこころのみである。

 

 

 

2.次に、西郷は新時代の青写真を持たない時代遅れの軍人であったという嘘っぱちのレッテルを剥がす。

 

じつは西郷は大久保や伊藤や木戸たちよりもはるかに本質的で明確な維新・文明開化の青写真を持っていた。

 

文明開化するということは、何でもかでも欧米を模倣するということではないはずだ。そんなことをしていれば、けっきょく国力を弱め、欧米の植民地になってしまうだろう。何事もまず自らを知り、自らに合った適切なやり方を選んで採用しなければならない。

 

西郷曰く 「欧米各国の制度を採用して日本を開明するならば、まず日本の基本(国柄)を確定して、徳をもってそれを支えるようにしなければならない。その上で、日本の国柄に見合った長所を各国の制度のうちから選び取って採用する。急いで何でもかでも模倣すれば日本の国体は衰え、徳もすたれて、結局は欧米の支配を受けることになる。」(南洲翁遺訓八)

 

これは現代の日本でも、また個人でも同じではないか。

 

また曰く 「人間の知恵を開発するということは、国を愛し、君に忠義を尽くし、親に孝行する心を開くことである。こうしてはじめて事業は前進する。ところが見聞を広めるといって電信線をかけ、鉄道を施設し、蒸気機関車を作ろうとするが、なぜ電信や鉄道が必要なのかを考えず、日本の国柄にとっていいのか悪いのかも考えず、家屋の作り方からおもちゃに至るまで外国に見習って贅沢の風潮を助長する。こんなことで財政を浪費するなら国力は疲弊し、国が潰れてしまうだろう。」(南洲翁遺訓十)

 

 

 

3.また西郷は大久保や伊藤たちよりも本質的な国際情勢に通暁していた。

 

当時ヨーロッパでは、1870~71年にプロシャ=フランス戦争が戦われ、フランスは十分な国力を持ちながら大敗した。

 

フランスは王権が弱く、ユダヤ商人たちが経済を牛耳っていた。当然ながらユダヤ商人たちにとっては、自分たちの金儲け(損得の計算)のみが目的であり、フランス国家人民の公益や国家防衛などはどうでもいいことだ。いや、自分たちの利益のためには国家に損失を与え、あるいは国家の富を横領し、国家を裏切るのも当たり前のことだ。節操も恥もない。そしてそういうユダヤ商人たちが大金持ちになり、贅沢に暮らし、フランス政財界を支配していたのである。

 

このような風潮では兵役に就く若者たちの士気が上がるはずもなく、みな国家防衛よりも自分の損得計算や身の安全を優先するようになる。

 

西郷曰く 「プロシャ=フランス戦争において、ナポレオン三世率いる30万のフランス軍は三か月分もの兵糧米を残しながら降伏したが、これはフランス国家全体の風潮が損得の計算を優先している故である。 節操を守り、義理を重んじ、恥を知る心を持たなければ、国家を維持することはできない。」(南洲翁遺訓十六)

 

 

 

4.さらに西郷は西洋文明の優れたところも公平に客観的に見抜いていた。

 

西郷曰く 「西洋の刑法は見せしめとか制裁ではなく、もっぱら罪の重さを悟らせて善良に導くことに主眼があり、刑は過酷に過ぎないようにしているという。だから獄中の罪人に対してもあまり拘束しないで、教戒となるような書籍を与え、場合によっては親族や友人たちの面会をも許すと聞いている。書物からだけではわからないが、このような刑のあり方こそ文明だと感じる。」(南洲翁遺訓十二)

 

 

以上。

 

西郷の嘘っぱちのレッテルが少し剥がれただろうか?

 

次回は本題、西郷の思いと日本人のこころに触れていきたい。

 

(続く)

 

 

 

 

追伸

 

本項は文化団体「日本の文化伝統そして日本人のこころ」への同時掲載を目指します。