月光荘のおじさんから学んだ 「すごいこと」 NO2・・・芸術家たちを魅了する銀座の画材屋さん
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- 橋本兵蔵さん (月光荘おじさん)
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- 医療事務78位
軽井沢で池に降る雪を観ながら与謝野晶子に思いを馳せる (笑)
昨日は、雪が降っているのにわざわざと思われるかもしれないが、軽井沢に行ってフレンチレストラン、オーベルジュ・ド・プリマヴェーラで店の中庭に降る雪を鑑賞しながらランチした。
この店は料理が美味いのは当然ながら、完璧にもてなしてくれるスタッフたちに加えて、オーナーシェフの小沼康行さん自身が客のテーブルに挨拶に訪れ、帰りには車が出るまで玄関で見送ってくれる。
軽井沢はこういう心遣いの店が似合う。
かつて、日本人本来の自由思想をリードした文化学院も、与謝野晶子や西村伊作たちがここ軽井沢で議論を重ね、設立準備を進めたのだった。
西村伊作が設計した文化学院の最初の校舎も軽井沢に再現されてルヴァン美術館となっているが、残念ながら冬場は休業している。
こうして思いの連想は与謝野晶子たちが応援した画材商、月光荘おじさん、こと兵蔵さんへとつながっていく (^^)
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(前回の続きから)
こうして23歳で新宿に画材屋 「月光荘」 を開店した兵蔵さんは、この恩を忘れぬようにと、まだ20代であったが自らを 「月光荘のおやじ」 「月光荘のおじさん」 と名乗った。
芸術というこの大きなものに心血を注いでいる先生方に少しでもお役に立ちたい。そのために自分の一生をかけよう、と決心してはじめた画材屋である。
兵蔵さんは店の主人となってからも、自ら絵描きたちへの配達を行い、ご機嫌伺いを欠かすことはなかった。
画家の猪熊弦一郎のアトリエにお伺いしたときのこと。
アトリエいっぱいに広げられた新聞紙の上に、汚れた筆洗い油の入った器と洗ったばかりの筆が並べられていた。
兵蔵さんが 「先生、こんな汚れた油ではきれいにならんでしょ?」 と聞くと、「油がもったいないからな」 という返事。
器の底にこびりついた絵の具をはがすのに半日かかるし、使いかけの筆をそばに置くと互いにくっついてしまう。
兵蔵さんは店に帰っていろいろ試してみると、筆洗い器を二重底にすれば絵の具のカスだけが下に落ちて油はあまり汚れないことに気づいた。
それから1年、あれこれ工夫していると、ある日、見ていた映画の手術のシーンで湯気の立っているラセン張りの筒にメスを次々に差し込んでいく場面に出会う。
そうだ! これを筆に置き換えればいい!
さっそくブリキ屋に見本を注文したが、しかしなかなかうまくいかない。
さらに3年にわたって試作品を作らせ続けたが、ついにブリキ屋から 「勘弁してくれ。もう金の問題じゃない。おれの脳みそがおかしくなりそうだ。」 と断られてしまう。
その後、画箱職人と共に努力を重ね、
ついに満足のいくものを完成させたのは、じつに5年目のことであった。
さっそくこの筆洗い器を持って猪熊先生のところに飛んでいくと、
一言、「こんなのが欲しかった! 絵になる!」
この一言で兵蔵さんの苦労は吹き飛んだ。
しかものちに特許が下りてこの筆洗い器は特許商品となる。
この筆洗い器を洋画家の国沢和衛がパリにいた画伯・藤田嗣治のところに持っていくと、藤田は 「見ているだけでも楽しい。月光荘のおやじは今もいろいろ考え続けているのかい?」 と言って大称賛してくれた。
さらに藤田嗣治から同じくパリにいた洋画家関口俊吾に伝わり、関口俊吾から世界の画家パブロ・ピカソに伝わった。
ピカソは 「こんな便利なものがあって日本の画家はいいな!」 と感嘆したのである。
芸術家たちのお役に立ちたい。こうした兵蔵さんの努力は日々たゆむことなく、兵蔵さんは意図せずに、結果的に30件を超える特許商品をものにすることになる。
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46億年前にできた地球の歴史の中で、宝石は自然が何十億年もかかって地熱で育てて出来上がった。
むかしの画家は宝石を粉にして絵の具を作ったので、「絵の具は宝石」 と言われたのだった。