furutorifumiyasu’s diary

人間と世界を動かしている秘密と真相を勝手に書いていきます。 このブログには実在の政財界のフィクサー、実力者、著名な実業家、メスネコなどが登場します。

人生意気に感ず・・・意気に感じなければ本物の仕事ではない・・・水上治の世界

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料理人16

昭和大学教授の佐藤均さん 会食のレストランにて)

 

 

 

今週もいろいろなことが山のようにあったが、だからこのブログも毎週1回日曜日くらいしか書く時間がないのだが(笑)、

 

なかでも(財)国際健康医療研究所理事長の水上治さん、同じく代表理事の大谷雄策さん、昭和大学教授の佐藤均さんとおれの4人で初会食したことは特筆すべきだ。

 

 

 

先月のおれのブロブ記事「月光荘のおじさんNO3の前振りでちょっと触れたが、

 

昭和大学教授の佐藤均さんは東大卒、アメリ国立衛生研究所の研究員、スイス・バーゼル研究所の客員研究員というキャリアを持つバリバリの研究者である。

 

そのときおれは佐藤均さんを友人から紹介されたのだが、初対面で気が合った。おれのテーマである 「縄文日本人の愛と和の精神」 「東日本大震災における縄文の精神」 「日本型医療の必要性」 なども考え方が一致した。

 

それに偶然だが、佐藤均さんはわれわれ(財)国際健康医療研究所の水上治理事長とは日本臨床カンナビノイド学会で「医療用大麻」について共に研究していた仲で、水上理事長を尊敬していたのだった。もちろんお互いに気心が知れている。

 

 

 

医療用大麻は麻薬と混同されがちだが、日本人の精神の源流である縄文文化と日本人を支えてきた重要な要素である。このへんの議論もぜひ深めなければならない。

 

それでこんど一緒に会食しようということになって、それが今週だったわけだ。

 

 

 

人生意気に感ず、とは、かつて大唐帝国の宰相を務めた魏徴が晩年に詩で告白した真情であるが、

 

4人の会食もまた、縄文日本人の愛と和の精神に一致する思いに、お互い大いに意気に感じたのであった。

 

なにしろ会食のその場で、佐藤教授の研究テーマである「医療用大麻の研究」を(財)国際健康医療研究所の主要テーマに加えることが決まり、佐藤均教授の当財団理事就任もその場で即決で決まった。もはや評議員会も理事会もあったものではない(笑)

 

これぞ人生意気に感じたパワーである。

 

 

 

さらに、ちょうど先週のおれのブログ記事「(財)国際健康医療研究所HP・・・論客・水上治の世界」に、アメ友のナツコさんから素晴らしいコメントを頂いていたので、会食の席上みなさんに開示すると、みんな大いに感銘を受けた。

 

ナツコさんから頂いたコメントをちょっとご紹介させていただくと以下の通り。

 

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素晴らしいですね!
私は過去に日本の生薬を使った温熱療法やヨーロッパのホメオパシーの資格を取り、今はメディカルアロマセラピーの勉強を始めようとしていますが、古来からの自然療法で安全性も歴史が証明しているものでありながら薬事法で縛られ、保険が利かず、何か事があると、それらエネルギー療法といえるものを得体の知れない非科学的なものとしてメディアでめちゃくちゃに叩かれる、というのを見てきました。
がん末期の患者さんの家族が、最後まで諦めずに少しでも楽になるようにと取り入れたいと言っても、病院内で使われるのは迷惑だ、と断られたりすることもありました。
日本には他にもたくさんの民間療法があり、患者さんの希望するものを取り入れてあげられるよう、現代医学の先生方がもっと民間療法について知り、まなび、取り入れるまで行かずとも、民間療法の医療者と手を組んで、本当に患者さんと家族の幸せを考えてあげられるような社会になってほしいものです。
そういう和洋の統合医療を目指す友人もいます。
日本の医師会の方々がそのような動きをされて行くのは明るいニュースですね!
そして、ルックイーストや、日本人の在り方についての呼びかけ、心が震えました。

ナツコ2019-03-13 02:40:37       

 

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これを受けて財団理事長である水上治さん曰く。

 

「このようにわれわれと同じ考えを持つ人たちが市井に大勢おられて、率直なコメントを頂ける。何とも嬉しいことではないでしょうか。われわれはこのナツコさんのような方々のためにも頑張らなければならない!」

 

というわけで、一同、同じ思いでいちだんと盛り上がった。

 

 

 

ちなみに魏徴の詩は、「人生、意気に感ず」のあとに「功名誰かまた論ぜん」と続く。

 

人生意気に感ずれば、手柄も金も名誉も論ずる必要がないということである。

 

そういうことを計算しなくても、人生意気に感じて仕事にまい進していれば必ず生かされるし、困難に遭遇しても必ず道が開ける。逆にいくら名誉や金を計算しても意気に感ずることがなければ必ず行き詰まる。

 

事業であれば、ユダヤ・ヨーロッパから来た銀行屋や証券屋や財務省などのインチキの仕組みのせいで、どうしても計画を立て、資金繰りの計算をしなければならなくなった。しかしそんなことが優先していては本物の仕事はできない。

 

まあ法制上仕方ないから計画を立て、資金繰りを計算するとしても、常に優先して「人生意気に感じて」仕事に取り組むことが本物の仕事をなさしめるのだと思う。

 

 

 

改めて魏徴のその詩「述懐」を見てみるとさすがに名文である。フミヤス流に勝手にアレンジしたら以下のようになった。

 

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かつて天下が戦乱となったとき、おれは文筆を捨て、軍隊に身を投じた。


無念にも天下を統一する計略は成らなかったが、その志は永遠に変わることはない。


老いた今でも、もし国家に一大事あらば、すぐさま天子に謁見して戦略を献じ、馬を駆って函谷関を出陣し、冠の紐で南粤王を縛り上げ、天下の無事平定のために最後のいのちをかける。


進軍はるか、曲がりくねった道を高い峰へと登っていけば、はるか東に平原が見え、静寂の中、古木には冬の鳥が鳴き、暗闇の夜の山には猿が啼く。


故郷を思って千里の彼方を見る目も傷み、わが魂は何度も故郷の家族友人のもとへと飛んでいくことだろう。

 

おれとて険しい道が好きなわけではない。

 

しかし如何に険しく、困難が待ち受けようと、御恩への感謝報恩の激情が己の魂を突き動かすのだ。


季布(漢代の侠士)は一度受けたことは命に代えても実行し、侯生(戦国時代の侠士)は一言の約束を重んじてわが命をささげた。

 

人生は意気に感じて事を成すのである。手柄や出世などそんなものは誰が気にかけよう。

 

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魏徴は大唐帝国の皇帝太宗(李世民)を二百回余りも諌めたのであり、

 

魏徴が逝去した際、皇帝太宗は、「人は、人を以て鏡と為し、己の衣冠を正すべし。魏徴の沒するや、朕、鏡を失えり。」と言って嘆いたという。

 

 

 

こうして、この日、われわれ(財)国際健康医療研究所もまた、佐藤均教授の参加によって、またナツコさんから頂いたコメントによって、さらに魏徴の詩によって、大いに人生意気に感じる日となったのだった。

 

 

フミヤス・サンタゲバラ Ameba blog

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