驚くほど表情豊かで、視線に目力がある・・・渡良瀬川渓谷、富弘美術館にて
(左から富弘さん、渡邊さお里さん、フミヤス。 渡邊さお里さんは文化団体「日本の文化伝統そして日本人のこころ」の編集委員)
群馬県の渡良瀬川渓谷にある富弘美術館で、昨日、以前から楽しみにしていた 星野富弘さんと詩人の大橋政人さんの対談が催された。
富弘さんは大学を卒業して地元の中学校の教諭となったが、わずか2年後、24歳のとき、クラブ活動の指導演技をしていて頭から落下し、頸髄を損傷して手足の自由を完全に失った。
富弘さんは、生涯、手足の動かない車いすの生活となった。
当然ながら、24歳の富弘さんは絶望した。
悔やんでも悔やみきれない。
富弘さんは来る日も来る日も病室の天井を見ながら、
もう死んだほうがよいと思った。
富弘さんはお母さんにも辛く当たり、「なんでおれを生んだんだ!」と言って泣かせた。
お母さんは、そんな富弘さんを必死に看病しながら、せめて心が通じるようにと、手足の動かない富弘さんの口にペンを咥えさせて文字を書く練習をさせた。
富弘さんは最初はやっと点を描くだけで力尽き、何度も癇癪を起こした。
富弘さんを支えたのは、お母さんの「自分のいのちに代えても」の必死の愛であった。
やがて富弘さんは口にくわえた筆で詩と絵を描き出していく。
それから50年、じつに半世紀、富弘さんは手足が動かないまま、ついに、われわれに大きな感動を与えてくれる詩人・画家となったのだ。
富弘さんの詩から伝わってくるのは・・・