フミヤス・サンタゲバラ クラブ

人間と世界を動かしている秘密と真相を勝手に書いていきます。 このブログには実在の政財界のフィクサー、実力者、著名な実業家、メスネコなどが登場します。

台湾、台北(タイペイ)で出会う親日の温かさ・・・日本女性的な奥ゆかしさの美徳

 

f:id:furutorifumiyasu:20190731133429j:plain台北故宮博物院

 

 

今週は台湾の大手製薬メーカーを訪問した。

 

半年前にこのメーカーの責任者が来日してわれわれの話を詳細に聞いて、その後進展があって今回は台湾に招待されたのだ。

 

初日に台中の先方の本社でミーティングを終えて、翌日からは台北の化粧品・健康食品の大規模展示会や広大な故宮博物院などを見学した。

 

 

 

その台北の大規模展示会でのこと。

 

ちょうど東京ビッグサイトの展示会と同じ雰囲気だが、これはおれにとっては同行者へのつき合いなので軽くざっとひと回りして、早々と休憩コーナーに移動して一服することにした。

 

そのテーブルでコーラを飲んでいると、品のいいじーさんが近づいてきて、いい笑顔の、流ちょうな日本語で話しかけてきた。

 

じー「こんにちは。このテーブル、ご相席してよろしいですか?(^^)」

 

フミ「どうぞ、ご遠慮なく(^^)」

 

 

するとじーさんが遠くにいた二人連れの女性に声をかけて、50歳前後の女性と20歳前後の女性が控えめにやってきて、品のいい奥ゆかしい笑顔で「謝謝。」と頭を下げて席に着いた。

 

中国語圏にもこんなに奥ゆかしい日本的な女性がいたのか。

 

一般に中国人はたえず自己主張のぶつけ合いで日々を暮らしている喧しい民族だ。食事するだけでも、高級料理店と言いながらも、女性店員と女性通訳(同行者が優秀な中国人女性を通訳につけてくれた)とのあいだで料理選びをめぐって自己主張の喧しい言葉の応酬が繰り広げられる。

 

そんな自己主張の強い喧しい中国語の氾濫と、原色の赤のどぎつい派手な店で、これでもかこれでもかと料理や酒を運んでくる接待にすこし辟易しかけていたので、奥ゆかしい日本的な女性の登場に新鮮な気持ちになったのだ。身なりも品のよいごく普通の主婦の身なりに、品のよいごく普通の女子学生の身なりで、とても好感が持てる。

 

 

じー「こちらは私の娘です。こちらは孫娘です。」

 

フミ「娘さんもお孫さんもとても気品がおありです。」

 

 

娘さんとお孫さんは笑顔ではにかみながら、じーさんに中国語で何か伝えると、

 

 

じー「二人ともありがとうございますと言っています(笑)」

 

 

二人は日本語を話すほどではないが、だいたいの日本語は聞けば理解できるらしい。

 

 

じー「われわれは昼の弁当を買ってきましたので、ちょっと失礼してここで食事させていただいてもよろしいですか?」

 

フミ「どうぞ。ご遠慮なく。」

 

 

娘さんが近くで買ってきたと思われる日本の海鮮丼ふうの弁当を3つ、遠慮気味に広げる。

 

家族団欒の邪魔をしてはいけないので、一礼して席を立とうと思ったら、

 

 

じー「あの、私は小食なので、よかったらお一つ如何ですか?」

 

フミ「お気遣いありがとうございます。残念ながら仲間が一緒に来てまして、このあと合流して一緒にランチ会食することになっているんです。」

 

じー「それは残念です。それではあまり時間もありませんね。あの、私はこういうものです。」

 

 

差し出された名刺には「○○有限公司総経理」とある。

 

 

じー「今日は別の孫の会社がこの会場で出展していまして、その監督に来たんです(^^)。これが孫の会社です。」

 

 

そのお孫さんの会社のパンフレットと出展案内を見せてくれた。何やら先端技術の会社を経営しているらしい。

 

 

フミ「立派な会社ですね。」

 

じー「まだまだこれからです。それと、この娘の主人は○○銀行の副頭取です。この孫娘はいま○○大学の医学部を目指して受験勉強中なんです。」

 

 

また二人は笑顔ではにかみながら頭を下げた。

 

ということでひと通り紹介されたのだが、おれのほうは今日は名刺を持ってこなかったのでその旨を告げると、娘さんがバッグの中を探してメモ用紙とペンを取り出した。

 

日本ではいまだに振り込め詐欺とかオレオレ詐欺が流行っているので警戒が必要だが、いずれにしろ調べればすぐわかるので、とりあえず会社の連絡先を書いてじーさんに渡しながら、

 

 

フミ「日本語はどこで学ばれたんですか?」

 

じー「戦前の日本の統治時代に学校で学んだんですよ。わたしは86歳なんです(^^)」

 

フミ「ほんとですか? とてもお元気でいらっしゃいます。」

 

じー「ありがとうございます。日本人はとても親切でした。それに日本は素晴らしい国です。日本のどちらからお越しですか?」

 

フミ「東京からです。」

 

じー「私も東京の新宿にいたことがあります。」

 

フミ「私の事務所も新宿です。」

 

じー「それは何かのご縁かもしれないですね(^^) 何か台湾のことでお困りのことや必要なことがありましたら、遠慮なくご相談ください。」

 

フミ「ありがとうございます。」

 

 

ということで、短い時間であったにもかかわらず、互いに名残惜しみながら温かい席を立った。

 

もちろんこの人たちがどういう人たちかは今後のことを見ないとわからないが、日本と日本人への好意と温かさが確実に伝わってきたのだった。

 

 

 

そうなのだ。

 

台湾には自己主張の強い喧しい中国系の人たちもいるが、このような親日の人たちが多いのだ。事実、ホテルのクラークもタクシーの運転手も店のウェイトレスも日本人には親切である。

 

2011年の日本の東日本大震災のときには、全世界から日本に寄せられた義援金のうちじつに半分が台湾の親日の人々から寄せられたものであった。

 

人口わずか2000万人の台湾から日本の被災地に届いた義援金はじつに200億円を超えたのである。

 

人口3億人のアメリカから日本の被災地に届いた義援金は台湾に次いで第2位だが、その金額は30億円だった。

 

義援金の額に文句を言うわけではないが、中国や韓国からの義援金は台湾に比べればなかったに等しい。台湾の人たちの日本人への義援の心は圧倒的に大きい。

 

 

 

しかも、その東日本大震災から4年後の2015年、

 

台湾・自由時報が、東日本大震災から4年が経過したことに合わせて、震災当時に日本の古川禎久議員が国会で行った質問を報道で紹介すると、 台湾の人々から感動のコメントが寄せられたのである。

 

台湾・自由時報の報道は以下のようなものだ。

 

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