フミヤス・サンタゲバラ クラブ

人間と世界を動かしている秘密と真相を勝手に書いていきます。 このブログには実在の政財界のフィクサー、実力者、著名な実業家、メスネコなどが登場します。

フィクサーたちの秘密② いままでの世界の実体

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一昨日、三井倶楽部にて(財)国際健康医療研究所のパートナーのみなさんとともに。

  中央は水上治理事長、その両側が大谷雄策代表理事とフミヤス。

  

 

 


このブログの読者のみなさんはご存知の通り、(財)国際健康医療研究所は愛と和の医療を目指している。

 

2019年6月から、今までの世界が水面下で新しい愛の世界へと大転換しており、この財団もその波に乗り、今までの何倍ものスピードで事業が展開している。

 

いま、世界は大きく変わろうとしているのだ。

 

 

 

それでは2019年6月以前の世界はどうであったか。

 

もちろんそれまでの世界も、自分の人生は苦悩も喜びも100%自分自身に起因しているという枠組みはいまの世界と同じだ。

 

しかし、そうして自己修練して世界精神にコンタクトして物事が上手く行くようになったとしても、

 

その世界精神そのものが闘争と競争のユダヤ精神であったのだから、誰もが生まれながらに闘争と競争のリングに立たされ、自分が勝者となれば相手が敗者とならなければならなかった。こちらが順調に成功して生き残れば、相手が具合悪くなって生き残れない世界であった。

 

こうして世界精神に則ったにもかかわらず、因果が巡ってやがて自分も敗者となり、苦しみが堂々巡りしていた。

 

2019年6月以前の世界は、人は愛と和を求めながらも、この世界に生き残るのは愛と和を求める者ではなく、単なる力の強者であった。世界は競争と闘争の精神によって、力によって支配されていたのである。

 

 

 

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たとえば2008年のリーマンショックの少し前(当時おれは40代)、多くの大臣を歴任してきた大物国会議員氏と面識を持ったときのこと。

 

その大物国会議員氏の下っ端の議員秘書が某右翼系団体の理事長を兼務していて、何度か顔を合わせるうちにけっこう親しくなり、おれはその理事長からアメリカの有力事業家を紹介されることになる。

 

 

 

いまの国会議員の多くはほとんど力がないが、当時の大物国会議員というのは子分の国会議員や多くの都議会議員、数えきれないほどの区議会議員、大物官僚、選挙区の事業家、暴力団、右翼、事件屋など表も裏も多くの勢力を傘下に収め、強力な力を持っていた。

 

なにしろ今では信じられないと思われるかもしれないが、2000年ころに暴対法(暴力団対策法)が整備されるまで、日本中のほとんどの一部上場会社が株主総会対策や敵方暴力団対策のために第二総務部を設置し、味方の暴力団右翼団体に資金を大量に供給していたのだ。

 

そしてそれらの揉め事を大物国会議員が仲裁するなんてのも日常茶飯事であった。それくらい裏社会と政財界は一体であった。

 

もちろん人は急に変われるものではないし、関係者がみんな急に死んでいなくなるわけでもないので、この大物国会議員、大企業や事業家、暴力団との癒着は水面下で2010年くらいまで続くことになる。2019年の現在でも吉本興業のようにいまだに癒着を断ち切れない会社もけっこうあるのだ。

 

ちなみに暴対法は市民の生活を守るためというより、大企業と暴力団の癒着を断つことに主眼が置かれた。これによって暴力団の資金源を止めることができたからであり、並行して大企業の国際競争力を高めることができたからだ。

 

そういう裏表の実力を備えた大物国会議員たちは現在までに次々に鬼籍に入ったが、いまも健在である自民党の二階幹事長や麻生副総理などはその生き残りと言っていい。

 

 

 

それで、おれにアメリカの某事業家を紹介した右翼系団体というのもそういう大物国会議員の傘下の組織であったわけだ。ちなみにその大物国会議員氏もまだ健在なので名前は出せない。

 

おれはそのアメリカの事業家と気が合って、その優れた商材のために一緒にアメリカやカナダにも出張し、日本の有力企業とセッティングするところまでこぎつけた。

 

ところが話がまとまりかけたころ、その日本の有力企業にくっついていたチンピラがその右翼系団体理事長と結託してしまい、仕事を横取りしようとしておれの排除にかかってきたのだ。

 

おれは対抗してそのチンピラの会社を乗っ取ったのだが、その結果その右翼系団体理事長と鋭く対立することになってしまった。

 

そう、戦国時代も強い大名か卑怯な大名しか生き残れなかったように、またずっと振込詐欺や結婚詐欺が後を絶たなかったように、この世界は泥棒とか卑怯者とかに関係なく強い者勝ちであった。それがまかり通ってきた。

 

 

 

問題だったのは、当時、おれのボスである超大物フィクサーK会長が、その理事長のボスである大物国会議員氏たちのグループと微妙なパワーバランスの関係にあったことだ。それでおれはK会長には相談できないと考えた。

 

ちょうど仲裁を買って出た強面(こわもて)がいて、おれはその強面を代理人として送ったが、彼のやり方は稚拙であった。逆にその強面代理人のほうが恫喝されて、このままではどんな仕返しを仕掛けられるかわからないなどと怯える始末で、ドツボにはまってしまった。

 

もう、チンピラに会社を返したとしても、それだけではすまなくなっていた。

 

 

 

今になって思えば、おれが直接その理事長のところに乗り込んで話をつければ落ち着いたのだ。彼はおれとK会長の仲を知らずに居丈高になっていたからだ。それにK会長は名前を出されたからと言ってびくともするものではない。

 

しかし当時のおれはそこまで考えが及ばなかった。このままではK会長に迷惑がかかるかもしれないのでK会長の名前を出さずに、自分で解決しなければならないと思っていたわけだ。

 

当時おれは40代であったが、男の40代というのは一般社会ならいいオヤジだが、実力者の間ではまだ「ひよっこ」なのだ。当時、相手の理事長は50代、そのボスの大物国会議員氏60代、K会長70代であった。

 

 

 

しかしそのとき、おれの脳裏に芦屋の六麓荘のY会長のことが閃いた。

 

Y会長はかつて○○総理の特命で関西裏社会の大物「許永中」が所有する日韓国際フェリーの社長を13年にわたって務め、その後フィクサーとして名を馳せた人物である。

 

すでにY会長も鬼籍に入られ、これらのことも時効なので本名を出しても法的には問題はないのだが、話の内容が内容だけに、またY会長のご家族や関係者もおられるのでイニシャルでY会長とだけ記載させていただく。

 

おれがY会長と面識を持ったのは、Y会長が日韓国際フェリーの社長を辞めて許永中と別れ、フィクサーとして名前が登場し始めたころだ。おれは30代半ばだった。

 

じつはこの日韓国際フェリーという会社は、かつて許永中と、後におれのボスとなるK会長が経営権を巡って争い、○○総理が間に入って結果的に許永中に引き渡されたという曰く付きの会社だ。

 

それでその○○総理が当時まだ若かったY会長(当時は自民党資金団体の役員)に命じてその社長に就任させたわけだ。

 

もちろん当時のおれはそんなことは知らない。おれが面識を得たころのY会長はすでに大物フィクサーであった。

 

 

 

それでおれは思い出したのだ。

 

Y会長が許永中の日韓国際フェリーの社長を務めていたころ、許永中の巨額の資金をその○○総理のもとに何度も運んでいたのだが、Y会長は今回問題となっている大物国会議員氏にも相当額を運んでいたのである。もちろんすべて裏金だ。

 

Y会長はその大物国会議員氏に大きな貸しがあるわけだ。そして同時に弱みを握っていることになる。

 

ちなみにY会長が資金を○○総理に運ぶときは、5~10人の黒背広の部下たちに黒の皮手袋をさせ、それぞれに1億円ほど入れたスーツケースを1つずつ持たせてその手首とスーツケースとに手錠をかけ、3~4台の車に分乗して指定のホテルの部屋に運び、Y会長が鍵で一人一人の手錠を外して、そのまま何も授受せずに5~10個のスーツケースだけを置いて黙って引き上げたのだという。これを何回もやっているのだ。

 

 

 

おれはまっすぐに芦屋に飛んでY会長と会い、事の顛末を説明した。

 

決着は簡単だった。

 

Y会長が問題の大物国会議員の事務所に電話して第一秘書を呼び出し、その下っ端秘書である当の右翼系団体理事長をおとなしくさせるようにと有無を言わせずに承諾させ、それで事は終わったのだった。

 

 
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