フィクサーたちの秘密⑥ 愛の進化がはじまった
ジョン・ウェルウッドは、
愛する人との愛が自分たちを救い、あらゆる問題を解決し、変わらない幸福と安定を授けてくれるはず、というのは幻想である。
何かを与えてくれるのが愛ではない。愛とは「道」である。相手と繋がり、自分自身のいのちとも繋がる道だ。
愛する人が自分にはない性質を持っている場合、本物の愛なら、彼(彼女)は、あなたの欠けたところを補ってくれるのではなく、あなた自身で欠けたところを育てるよう迫ってくる。
と、述べている。
人間はもともと神人であったことが忘れられて、永らく欠陥だらけの人間として過ごしてきたから、欠けたところを満たすためにこの世界に生まれ、さまざまな人と出会い、ときに愛し合い、ときに傷つけあってきた。
しかしその欠けたところは、愛する人が補ってくれたり満たしてくれるのではない。愛する人と人生という道を歩みながら、たすけ合って、お互いが自分自身で自分の欠けたところを育てていく。本物の愛とはそういう道であった。
ところが、いま(2019年)、
人類はそのウェルウッドの言う本物の愛の道をさらに超えたと思える。
じつは一部の人たちの間で、「人間には、自分自身には、最初から欠けたところなど何もなかった」ということが、実体をもって思い起こされていると思えるのである。
いまはじめて、人類は、自らの神人の愛に、そして自らが神人であることに目覚めはじめてきたのだ。
そのとき、愛は、ウェルウッドの言うように、自らの欠けたところを自分自身で育てるように迫ってくるのではなく、
愛は、お互いに自らが神人であること、欠けたところのない完全な存在であることを自覚させ覚醒させる愛へと進化したのである。