初冬の渓谷で、春風に猿の親子の湯治かな
今週末は長野県の山奥の渓谷にあるひなびた温泉街の宿で過ごした。
この温泉街のシンボルだという共同浴場「大湯」の周りに7~8軒の旅館が点在するだけの小さな温泉街である。
誰でもたまに人の少ない時節にこういうひなびた小さな温泉街で過ごしたくなるもんじゃないだろうか。
宿泊した宿は風情のある瀟洒な旅館だが、街には人通りも少なく、すでに閉鎖している旅館もいくつか見受けられる。
いまは山奥の渓谷ではすでに紅葉も終わり、雪山に変貌しようとする時節なので、わびしさもひとしおだ。
部屋を取って、浴衣に羽織で冷たい大気の小さな温泉街を散策していると、その共同浴場「大湯」の前で見つけた。
小林一茶の句碑である。
じつはここ松川渓谷は深く見事な大渓谷で、その渓谷に埋もれるような山田温泉郷は昔から秘湯といわれ、松尾芭蕉、小林一茶、森鴎外、山頭火、与謝野晶子などの文人たちが何度も滞在している。
大自然の秘境にいる感覚に、己の力の無力を悟るからか、また己の力の及ばぬ大きな自然に包まれるからだろうか、インスピレーションが閃くように感じられるのである。
小林一茶の句は、
春風に 猿の親子の 湯治かな
なんとのどかで、幸せな一コマであることか。
しかし猿の社会はボス猿だけがすべての雌猿に子を産ませる。ほかの雄猿は雌猿に近づくことさえできない。
もしボス猿が敗れて新たなボス猿が誕生すれば、新たなボス猿は前のボス猿の子供たちを皆殺しにして、子供を失った雌猿たちに新たに自分の子を産ませるという。
しかもどんな屈強のボス猿と言えども、いつかは病に倒れ、老いて倒れる。雌猿たちは自分の子を殺されるときが来る。
猿がどこまで人間と同じ思考を有するかはわからないが、猿もこの猿社会の掟に従うのが嫌なら、ボス猿を倒して自分がボス猿になるか、もしくはこの集団から去るしかない。
猿の母子が湯治している様子は何度か映像で見たことがあるが、いま、この大渓谷の中で一茶の句に触れると、瞬く間に長閑で幸せなイメージと、弱肉強食の猿社会のイメージが広がって、
この母子猿の幸せなひとときに、永遠あれ、と祈るのみであった。
いま大渓谷は春ではなく、厳しい冬を迎えようとしている。いったい猿たちはどうしているのだろうか。