フミヤス・サンタゲバラ クラブ

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なまはげの神の激怒① 荒れる灰緑の日本海にて

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男鹿半島なまはげ 1957年 岡本太郎撮影)

 

 

 

週末から連休を取って、秋田県の男鹿(おが)半島に行ってきた。

 

男鹿半島は「なまはげ」の住む島である。

 

 

 

もともと男鹿半島はほぼ島であった。

 

当時、日本海に浮かぶ男鹿の孤島には険しい本山と真山がそびえ、常に烈しい日本海の灰緑色の荒波に洗われていて、外敵を寄せ付けなかったし、外部の侵入も許さなかった。

 

いわば男鹿は、自然の天険に守られた、神と「なまはげ」の住まう神秘の孤島であったのだ。

 

それが、

1966年に八郎潟干拓されて完全に本土と陸続きになった。

1978年には国の重要無形民俗文化財となり、

2018年にはユネスコ無形文化遺産に登録された。

 

こうなるともう外からいろんな連中が押しかけてくるし、男鹿半島は観光と商売の餌食となってしまう。男鹿の地に住む「なまはげ」もタダでは済まない。

 

いや、すでに男鹿半島は観光地と化し、なまはげはショーのアトラクションとなってしまっているかもしれない。

 

 

 

男鹿が観光地化する以前、八郎潟も埋め立てられる前、

 

1957年、岡本太郎男鹿半島を訪れ、芸術風土記(新潮社)に、アトラクション化する前の男鹿半島について記しているが、

 

そこで男鹿半島の厳しい自然の神秘について次のように語っている。

 

 

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あけ方、汽車の窓から外をながめ、ぞっとして胸をそらせた。

 

暗い灰緑色の海が、重なる山脈のようにそばだち、幾重にも幾重にも、泡立ち、のたうちながら眼の前に迫ってくる。

 

その荒れた様は声も立てられない凄まじさだった。

 

よく見ると、弓形にえぐられた入江の片隅に、低くうずくまった漁師の小屋が、吹き寄せられたように、薄く雪をかぶってかたまっている。まるで今にも呑み込まれるのじゃないかと思われる。

 

はじめてみる冬の裏日本。そのきびしい気配にうたれ、私はこれからふみ込んで行く天地、風土に、身のしまる思いがした。それは快感でもあった。

 

秋田駅に着く。「どうも、昨日からぐんと気温が下がって」と、気の毒そうに迎えてくれた県の観光課の人と一緒に、つきさす吹雪と寒気の中を宿に落ちついた。

 

建物全体が風にゆり動いている。海からジカに叩きつけてくる猛烈な突風である。硝子ごしに見る中庭の樹や石に積もった雪が、狂おしく散り飛び舞い上がっている。

 

泣きじゃくるように低いうなり声がする。それが急に甲だかく高まり、まるで妖怪の叫びのように、家の棟をわたる。嘆き、訴え、悲しみと苦しみにのたうち廻りながらしぼり出すような、奇怪な余韻。

 

激しい風の音はどこでも聞く。しかしこのように、どん底からの不気味な声はかつて聞いたことがない。つれの者が、「なまはげの鬼のうめき声はきっとあんなでしょうね。」ともらした。

 

(中略)

 

ところで、秋田ほど東京から遠いところはない、という感じはある。

 

雪の壁は深く、ここには別の時間が流れているようだ。私の主張する芸術と、いったいどういう関係があるか、いささか絶望的な気がしないではなかった。

 

だが私はこのような、いわばとり残されたところに、古くから永遠にひきつがれてきた人間の生命の感動が、まだなまのまま生き働いているのではないかと思った。

 

たとえば「なまはげ」の行事などに。

 

(ここまで)

 

 

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