フミヤス・サンタゲバラ クラブ

人間と世界を動かしている秘密と真相を勝手に書いていきます。 このブログには実在の政財界のフィクサー、実力者、著名な実業家、メスネコなどが登場します。

フィクサーたちの秘密④ 三井倶楽部の水上治を囲む会

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 綱町の三井倶楽部

 

 

 

2019年6月、世界は水面下で一挙に変わった。

 

世界の水面下で、宇宙の創造主である神の愛を中心として、神の愛によって、全世界の霊的存在が互いに統一されつつある。

 

 

 

ところでなんでこんな朝早くにブログ書いているのかって?

 

これから「ででんぶん」の彫刻家、宇賀地洋子さんのグループとミーティングがあるのです。何か悪いことを企んでいるわけじゃない(笑)

 

 

 

前回ちょっと書いたが、先々週、「水上治先生を囲む食事会」が東京のど真ん中、港区綱町の三井倶楽部で開催された。

 

三井倶楽部は三井住友銀行三井物産など三井グループの役員しか入れない会員制クラブだが、2019年6月以降、ここが水上治ファンのみなさんによる「水上治先生を囲む食事会」の舞台となった。

 

 

 

第一回目のこの日、水上治ファン・支援者のみなさんおよそ20名が参集し、美味い料理に、美味いワインを傾けながら、親しく水上先生と会話し、ときに医療や人生について問い、魅力的な水上節に耳を傾けた。

 

ここにあるのはそれぞれの立場を超えた互いの尊敬と尊重、敬愛、そして素晴らしい一体感であった。

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 三井倶楽部にて、水上先生のファン・支援者のみなさんとともに。

    中央は熱弁をふるう水上治理事長、その左側が大谷雄策代表理事、右側がフミヤス。

 


 

水上治理事長の(財)国際健康医療研究所が推進する「日本型医療」の根幹の思想の一つに「一如」という考え方がある。

 

明治維新からずっと日本の医学会を支配してきた西洋医療では、医師と患者との間に壁があり、医師は患者を対象物として捉えて患者の身体や患部を切ったり貼ったりする。また人間と自然の間にも壁があり、自然は人間によって征服されるものとされる。

 

 

 

しかし、水上治は語る。

 

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西洋医療は、自我を優先し、自分と他人を峻別する。その医療は自己主張が激しいから攻撃的であり、手術で病床をえぐり取り、放射線で焼き、抗癌剤で敵を殺す。

 

医師も患者も自我が強いので、医療は両者のぶつかり合いになる。医療現場では専門家である医師が優勢だが、劣勢気味の患者は訴訟でお返しをする。癌告知も余命告知も、自我を尊重する文化から自然に生じたものだ。

 

我が国は長い歴史を背景に伝統的な文化を持ち、独自の医療もあった。ところが明治以後西洋文明が怒涛のように押し寄せ、医学においても、1874年に西洋医学のみが認められることになった。医学校はすべて西洋医学であり、医療も鍼灸や柔道整復などを除けば西洋医療のみであった。

 

終戦後も怒涛のようにアメリカ医療が日本を席捲した。長い間医師はそれを鵜呑みにしてきた。国が認める医療について世界を眺めてみると、日本と米国だけが基本的に西洋医療のみで、ヨーロッパやアジアでは伝統医療や補完医療が共存している。

 

その一方、日本は西洋医療を150年も取り入れてきたにもかかわらず、日本人そのものの自我の構造は、東洋人である。東洋人は農耕民族である。自己主張をせず、周囲との平和を好む。人間は自然の一部であり、自然と調和して生きてきた。自然を征服するという発想はない。

 

だから日本人は、病巣をえぐり取るのではなく、人体という小宇宙を大宇宙と調和させることによって、自然治癒力で病気は治る、という医学体系を築いてきた。

 

(ここまで)

 

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フィクサーたちの秘密③ 世界最強のフィクサー・キッシンジャー氏が亡くなるとどうなるか

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世界のフィクサーキッシンジャー氏(96歳)もトランプ夫妻には頭が痛い?

 

 

 

2019年6月以降、物質界の世界精神であった「競争と闘争のユダヤ精神」が水面下で総崩れを起こしている。人類はもう競争と戦いのリングに立つ必要がなくなってきている。

 

それは宇宙の創造主である神の愛を中心として、神の愛によって、全世界の霊的存在が互いに統一されていくという実感である。

 

 

 

それで前回、2019年6月までの世界(以前の世界)がどうやって動いてきたか、その裏側の真相をおれ自身の体験の一つから書いたが、しかしこの「以前の世界」の裏側にはもうすこし触れておかなければならない。

 

 

 

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今回はユダヤ側の歴史を通して、2019年6月までの世界(以前の世界)がどうやって動いてきたか、それはユダヤの権力者たちがどうやって富と権力を収奪してきたのかと同義になるが、まずそれを見ていきたい。

 

 

 

たとえば、18世紀~20世紀のアヘンの「三角貿易」について、

 

歴史の教科書などには、

 

イギリスは綿織物をインドに輸出し、インドはアヘンを中国に輸出し、中国は茶をイギリスに輸出して貿易収支の均衡をはかった

 

などと書かれている。

 

 

 

するとイギリス人もインド人も中国人も均衡して同じように大金を儲けたように感じられる。

 

 

 

ご存じのとおり、実体はまったく違う。

 

インド人は白人エスタブリッシュメントに奪われた農地(プランテーション)で奴隷もしくは奴隷同様に働かされてアヘンを生産し、極貧に陥っていた。

 

中国人は毎年国家予算を超えるほどの膨大なアヘンの代金を300年にわたって収奪され続けて、歴史はじまって以来最低の極貧に陥っていた。

 

そしてじつはイギリス人もほとんどの庶民は利益の分け前なんか来るはずもなく、悲惨な環境で低賃金労働を強いられていたのである。

 

 

 

それじゃいったい天文学的と言われる膨大な利益はどこに消えてしまったのか?

 

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フィクサーたちの秘密② いままでの世界の実体

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一昨日、三井倶楽部にて(財)国際健康医療研究所のパートナーのみなさんとともに。

  中央は水上治理事長、その両側が大谷雄策代表理事とフミヤス。

  

 

 


このブログの読者のみなさんはご存知の通り、(財)国際健康医療研究所は愛と和の医療を目指している。

 

2019年6月から、今までの世界が水面下で新しい愛の世界へと大転換しており、この財団もその波に乗り、今までの何倍ものスピードで事業が展開している。

 

いま、世界は大きく変わろうとしているのだ。

 

 

 

それでは2019年6月以前の世界はどうであったか。

 

もちろんそれまでの世界も、自分の人生は苦悩も喜びも100%自分自身に起因しているという枠組みはいまの世界と同じだ。

 

しかし、そうして自己修練して世界精神にコンタクトして物事が上手く行くようになったとしても、

 

その世界精神そのものが闘争と競争のユダヤ精神であったのだから、誰もが生まれながらに闘争と競争のリングに立たされ、自分が勝者となれば相手が敗者とならなければならなかった。こちらが順調に成功して生き残れば、相手が具合悪くなって生き残れない世界であった。

 

こうして世界精神に則ったにもかかわらず、因果が巡ってやがて自分も敗者となり、苦しみが堂々巡りしていた。

 

2019年6月以前の世界は、人は愛と和を求めながらも、この世界に生き残るのは愛と和を求める者ではなく、単なる力の強者であった。世界は競争と闘争の精神によって、力によって支配されていたのである。

 

 

 

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たとえば2008年のリーマンショックの少し前(当時おれは40代)、多くの大臣を歴任してきた大物国会議員氏と面識を持ったときのこと。

 

その大物国会議員氏の下っ端の議員秘書が某右翼系団体の理事長を兼務していて、何度か顔を合わせるうちにけっこう親しくなり、おれはその理事長からアメリカの有力事業家を紹介されることになる。

 

 

 

いまの国会議員の多くはほとんど力がないが、当時の大物国会議員というのは子分の国会議員や多くの都議会議員、数えきれないほどの区議会議員、大物官僚、選挙区の事業家、暴力団、右翼、事件屋など表も裏も多くの勢力を傘下に収め、強力な力を持っていた。

 

なにしろ今では信じられないと思われるかもしれないが、2000年ころに暴対法(暴力団対策法)が整備されるまで、日本中のほとんどの一部上場会社が株主総会対策や敵方暴力団対策のために第二総務部を設置し、味方の暴力団右翼団体に資金を大量に供給していたのだ。

 

そしてそれらの揉め事を大物国会議員が仲裁するなんてのも日常茶飯事であった。それくらい裏社会と政財界は一体であった。

 

もちろん人は急に変われるものではないし、関係者がみんな急に死んでいなくなるわけでもないので、この大物国会議員、大企業や事業家、暴力団との癒着は水面下で2010年くらいまで続くことになる。2019年の現在でも吉本興業のようにいまだに癒着を断ち切れない会社もけっこうあるのだ。

 

ちなみに暴対法は市民の生活を守るためというより、大企業と暴力団の癒着を断つことに主眼が置かれた。これによって暴力団の資金源を止めることができたからであり、並行して大企業の国際競争力を高めることができたからだ。

 

そういう裏表の実力を備えた大物国会議員たちは現在までに次々に鬼籍に入ったが、いまも健在である自民党の二階幹事長や麻生副総理などはその生き残りと言っていい。

 

 

 

それで、おれにアメリカの某事業家を紹介した右翼系団体というのもそういう大物国会議員の傘下の組織であったわけだ。ちなみにその大物国会議員氏もまだ健在なので名前は出せない。

 

おれはそのアメリカの事業家と気が合って、その優れた商材のために一緒にアメリカやカナダにも出張し、日本の有力企業とセッティングするところまでこぎつけた。

 

ところが話がまとまりかけたころ、その日本の有力企業にくっついていたチンピラがその右翼系団体理事長と結託してしまい、仕事を横取りしようとしておれの排除にかかってきたのだ。

 

おれは対抗してそのチンピラの会社を乗っ取ったのだが、その結果その右翼系団体理事長と鋭く対立することになってしまった。

 

そう、戦国時代も強い大名か卑怯な大名しか生き残れなかったように、またずっと振込詐欺や結婚詐欺が後を絶たなかったように、この世界は泥棒とか卑怯者とかに関係なく強い者勝ちであった。それがまかり通ってきた。

 

 

 

問題だったのは、当時、おれのボスである超大物フィクサーK会長が、その理事長のボスである大物国会議員氏たちのグループと微妙なパワーバランスの関係にあったことだ。それでおれはK会長には相談できないと考えた。

 

ちょうど仲裁を買って出た強面(こわもて)がいて、おれはその強面を代理人として送ったが、彼のやり方は稚拙であった。逆にその強面代理人のほうが恫喝されて、このままではどんな仕返しを仕掛けられるかわからないなどと怯える始末で、ドツボにはまってしまった。

 

もう、チンピラに会社を返したとしても、それだけではすまなくなっていた。

 

 

 

今になって思えば、おれが直接その理事長のところに乗り込んで話をつければ落ち着いたのだ。彼はおれとK会長の仲を知らずに居丈高になっていたからだ。それにK会長は名前を出されたからと言ってびくともするものではない。

 

しかし当時のおれはそこまで考えが及ばなかった。このままではK会長に迷惑がかかるかもしれないのでK会長の名前を出さずに、自分で解決しなければならないと思っていたわけだ。

 

当時おれは40代であったが、男の40代というのは一般社会ならいいオヤジだが、実力者の間ではまだ「ひよっこ」なのだ。当時、相手の理事長は50代、そのボスの大物国会議員氏60代、K会長70代であった。

 

 

 

しかしそのとき、おれの脳裏に芦屋の六麓荘のY会長のことが閃いた。

 

Y会長はかつて○○総理の特命で関西裏社会の大物「許永中」が所有する日韓国際フェリーの社長を13年にわたって務め、その後フィクサーとして名を馳せた人物である。

 

すでにY会長も鬼籍に入られ、これらのことも時効なので本名を出しても法的には問題はないのだが、話の内容が内容だけに、またY会長のご家族や関係者もおられるのでイニシャルでY会長とだけ記載させていただく。

 

おれがY会長と面識を持ったのは、Y会長が日韓国際フェリーの社長を辞めて許永中と別れ、フィクサーとして名前が登場し始めたころだ。おれは30代半ばだった。

 

じつはこの日韓国際フェリーという会社は、かつて許永中と、後におれのボスとなるK会長が経営権を巡って争い、○○総理が間に入って結果的に許永中に引き渡されたという曰く付きの会社だ。

 

それでその○○総理が当時まだ若かったY会長(当時は自民党資金団体の役員)に命じてその社長に就任させたわけだ。

 

もちろん当時のおれはそんなことは知らない。おれが面識を得たころのY会長はすでに大物フィクサーであった。

 

 

 

それでおれは思い出したのだ。

 

Y会長が許永中の日韓国際フェリーの社長を務めていたころ、許永中の巨額の資金をその○○総理のもとに何度も運んでいたのだが、Y会長は今回問題となっている大物国会議員氏にも相当額を運んでいたのである。もちろんすべて裏金だ。

 

Y会長はその大物国会議員氏に大きな貸しがあるわけだ。そして同時に弱みを握っていることになる。

 

ちなみにY会長が資金を○○総理に運ぶときは、5~10人の黒背広の部下たちに黒の皮手袋をさせ、それぞれに1億円ほど入れたスーツケースを1つずつ持たせてその手首とスーツケースとに手錠をかけ、3~4台の車に分乗して指定のホテルの部屋に運び、Y会長が鍵で一人一人の手錠を外して、そのまま何も授受せずに5~10個のスーツケースだけを置いて黙って引き上げたのだという。これを何回もやっているのだ。

 

 

 

おれはまっすぐに芦屋に飛んでY会長と会い、事の顛末を説明した。

 

決着は簡単だった。

 

Y会長が問題の大物国会議員の事務所に電話して第一秘書を呼び出し、その下っ端秘書である当の右翼系団体理事長をおとなしくさせるようにと有無を言わせずに承諾させ、それで事は終わったのだった。

 

 
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フィクサーたちの秘密① プロローグ

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ジョージクルーニーの映画「フィクサー」  ただしアメリカでは有能な弁護士などもフィクサーと呼ばれ、日本的感覚で言えばこの映画でジョージクルーニー演じる主人公は小物フィクサーである。

 

 

 

唐突かもしれないが、

 

2019年6月、

 

このときを境にして世界の情勢は水面下で大転換を起こしていると思われる。

 

一言で言うなら、宇宙の創造主である神の愛を中心として、神の愛によって、全世界の霊的存在が互いに統一されていくという実感である。

 

 

 

あらゆる政治勢力、企業などの経済単位、団体などの人の集まりに至るまで、人類は5000年にわたってユダヤの精神である競争と闘争の精神に支配され、競争と闘争の強者が勝ち残り、のさばってきた。

 

それが、本年2019年6月を境として終焉を迎えたのだと感じるのである。このときからそれら神の愛に歯向かう強者が水面下で総崩れを起こしているのである。

 

 

 

この実感はさまざまな宗教やスピリチュアルの世界で以前から時期不明で予言されてきたことであるが、おれのこの「実感」はそれらの情報ではない。

 

おれ自身が親しく接しているこの世界の政財界の実力者や実力フィクサーたち、そして政財界の裏側や水面下の動きから、いま現在において、自分自身の肌で直接感じ取っている事実である。

 

( もっともそれらの動きをブログに書こうとすると,あっちこっちに差し障りが出てきてなかなか記事にはできないのだが・・・(笑) )

 

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心安らか?そんな日々など知らぬ!・・・愛の哲学 三国志〜司馬懿 軍師連盟~より

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 (司馬孚の義妹 と 魏王の嫡男、曹丕

 

 

 

入院中は多くのお見舞いのお言葉ありがとうございました。

 

20人以上のみなさんから励ましのコメントをいただいて、おかげさまで当初の予定より1日早めて、一昨日、退院することができました。

 

 

 

入院中はちょうど前回のブログを書いたときが最悪の体調で、その後、稲盛和夫さんの本を写経のようにPCで打ち込み続けるにしたがって急速に体力が回復した。

 

それで安静にしながら「三国志司馬懿 軍師連盟〜」を観ていたところ、意外にも曹丕(そうひ)の語る愛の哲学に遭遇した。

 

 

 

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中国の三国時代

 

魏国の嫡男・曹丕が、司馬孚(しばふ)の義妹に求婚したときのこと。

 

曹丕にはすでに美しい正妻があったが、司馬孚の義妹は長いあいだ曹丕に惹かれていたのだった。彼女の瞳は曹丕を見かけるたびに輝いた。

 

司馬孚が心配したのは、正妻の存在もさることながら、曹丕をめぐる権力争いの凄まじさである。都を守るため曹丕自身が軍を率いて外敵と戦いながら、尚且つ宮中の陰謀によって二度も投獄され、拷問を受けた経緯まである。生命がいくつあっても足りないのだ。

 

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(投獄され、拷問に遭った曹丕

 

 

司馬「曹丕殿が私の義妹を娶られると聞いてやって参りました。」

 

曹丕「おれの気持ちを確かめに来たのか?」

 

司馬「義兄として、義妹には心安らかな日々を送ってほしいのです。」

 

曹丕「心安らか?」

 

曹丕「おれはそんな日々など知らぬ!」

 

 

ときは戦乱である。

 

野盗集団となった黄巾族から、また他国の侵略から、自国とわが家を守るため、誰もが命がけであった。

 

曹丕自身、わずか11歳から父の軍中に従軍していたのだった。

 

 

司馬「それでは義妹が可哀そうです。」

 

曹丕「お前の義妹は男に守られたい女ではなかろう。」

 

司馬「それは・・・」

 

曹丕「この世で一番の幸せは、守られることではない。志を同じくする者と出会い、力を合わせて苦楽を共にすることだ。」

 

司馬「はい・・・・・・・」

 

曹丕「おれはお前の義妹の言葉に心を打たれ、その輝く瞳に魅せられた。」

 

司馬「はい・・・・・・・」

 

曹丕「苦難は勝手にやってくる。しかし共に生きる日々は何事にも勝る。」

 

 

 

司馬孚の義妹は曹丕の求婚に応じ、その後、曹丕の正妻とともに命がけで曹丕を守っていく。

 

やがて司馬孚もまた兄の司馬懿とともに曹丕に仕えるようになり、司馬一族を挙げて曹丕を守り、魏王に押し上げ、のちに皇帝にまで押し上げる。

 

(「三国志司馬懿 軍師連盟〜」より。一部フミヤス流意訳あり)

 

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稲盛和夫 「心。――人する力」・・生を意のまま・大学病院の深夜のラウンジよりに

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今週はおれの鼻から首への気道の手術があって、木曜日から母校の大学病院に入院している。

 

これは半年前から決まっていたことで、ひさしぶりに病院でゆっくり読書にでも勤しもうと思っていた。

 

ところが、前回、5年くらい前に胆嚢の手術で入院したときとはだいぶ勝手が違う。

 

5年前の手術のときは痛みはやむを得ないとしても、夜はぐっすり眠れたし、口は自由なので冗談を言って医師や看護師たちを笑かしたりしてじつに楽しい入院生活だった。(→お浣腸しますよ

 

ところが今回手術したのは気道の手術なので、鼻には詰め物をされ、息ができないから口喉で呼吸をするのだが、夜、寝ると手術した気道からかなりの出血があって喉に流れ込んで塞いでしまいそうになる。

 

喉まで塞がれれば呼吸できなくて死んでしまうので、起きて必死に口から淡と一緒に血液を吐き出す。それが10~20分おきにしなければならない。

 

ようするに、夜、眠れないのだ。

 

起きていても息が苦しくてじっとしていられない。

 

しかもしゃべることができない。冗談も言えない。

 

手術のあった金曜日の晩は一睡もできず、夜半からベッドで座ったまま血を吐きながら過ごした。

 

そして土曜日の晩も同じで、座ったまま明け方に意識を失って2時間ほど眠ったが、喉が詰まって跳ね起きた。

 

そして今日、日曜日、呼吸の苦しさに加えて寝不足で発熱と頭痛までしてきた。

 

 

 

そんなとき、知人の女性が稲盛和夫さんの新刊 「心。――人生を意のままにする力」 を差し入れてくれた。

 

稲盛さんはおれが最も尊敬する経営者。人生の大先輩だ。

 

言わずと知れた、京セラの創業会長、KDDIの創業会長、日本航空の再建の会長である。

 

とりあえず読む。

 

やはり稲盛さんは素晴らしい! それに面白い!

 

 

 

そして悟った。

 

おれの入院のこの酷い状況はようするに修行なのだ(笑)

 

そうと決まればジタバタしてもしょうがない。

 

寝不足で意識朦朧で息が苦しいままでよい。今夜も眠れないかもしれないが、修行なのだ。

 

しゃべれないし、頭痛がするが、それも修行なのだ。

 

 

 

写経のつもりで稲盛さんの著書 「心。――人生を意のままにする力」 をPCで夜通し打ち込み続けることにした。ふだんは時間がないので、入院中でちょうどいい。

 

 

 

稲盛和夫さんは禅僧や哲学者だけでなく、スピリチュアル系の人たちにも感性が合致すると思う。

 

ちょうど半日かかっていま「プロローグ」の部分をPCに写経し終わったので、この素晴らしい稲盛節をぜひご覧ください。

 

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台湾、台北(タイペイ)で出会う親日の温かさ・・・日本女性的な奥ゆかしさの美徳

 

f:id:furutorifumiyasu:20190731133429j:plain台北故宮博物院

 

 

今週は台湾の大手製薬メーカーを訪問した。

 

半年前にこのメーカーの責任者が来日してわれわれの話を詳細に聞いて、その後進展があって今回は台湾に招待されたのだ。

 

初日に台中の先方の本社でミーティングを終えて、翌日からは台北の化粧品・健康食品の大規模展示会や広大な故宮博物院などを見学した。

 

 

 

その台北の大規模展示会でのこと。

 

ちょうど東京ビッグサイトの展示会と同じ雰囲気だが、これはおれにとっては同行者へのつき合いなので軽くざっとひと回りして、早々と休憩コーナーに移動して一服することにした。

 

そのテーブルでコーラを飲んでいると、品のいいじーさんが近づいてきて、いい笑顔の、流ちょうな日本語で話しかけてきた。

 

じー「こんにちは。このテーブル、ご相席してよろしいですか?(^^)」

 

フミ「どうぞ、ご遠慮なく(^^)」

 

 

するとじーさんが遠くにいた二人連れの女性に声をかけて、50歳前後の女性と20歳前後の女性が控えめにやってきて、品のいい奥ゆかしい笑顔で「謝謝。」と頭を下げて席に着いた。

 

中国語圏にもこんなに奥ゆかしい日本的な女性がいたのか。

 

一般に中国人はたえず自己主張のぶつけ合いで日々を暮らしている喧しい民族だ。食事するだけでも、高級料理店と言いながらも、女性店員と女性通訳(同行者が優秀な中国人女性を通訳につけてくれた)とのあいだで料理選びをめぐって自己主張の喧しい言葉の応酬が繰り広げられる。

 

そんな自己主張の強い喧しい中国語の氾濫と、原色の赤のどぎつい派手な店で、これでもかこれでもかと料理や酒を運んでくる接待にすこし辟易しかけていたので、奥ゆかしい日本的な女性の登場に新鮮な気持ちになったのだ。身なりも品のよいごく普通の主婦の身なりに、品のよいごく普通の女子学生の身なりで、とても好感が持てる。

 

 

じー「こちらは私の娘です。こちらは孫娘です。」

 

フミ「娘さんもお孫さんもとても気品がおありです。」

 

 

娘さんとお孫さんは笑顔ではにかみながら、じーさんに中国語で何か伝えると、

 

 

じー「二人ともありがとうございますと言っています(笑)」

 

 

二人は日本語を話すほどではないが、だいたいの日本語は聞けば理解できるらしい。

 

 

じー「われわれは昼の弁当を買ってきましたので、ちょっと失礼してここで食事させていただいてもよろしいですか?」

 

フミ「どうぞ。ご遠慮なく。」

 

 

娘さんが近くで買ってきたと思われる日本の海鮮丼ふうの弁当を3つ、遠慮気味に広げる。

 

家族団欒の邪魔をしてはいけないので、一礼して席を立とうと思ったら、

 

 

じー「あの、私は小食なので、よかったらお一つ如何ですか?」

 

フミ「お気遣いありがとうございます。残念ながら仲間が一緒に来てまして、このあと合流して一緒にランチ会食することになっているんです。」

 

じー「それは残念です。それではあまり時間もありませんね。あの、私はこういうものです。」

 

 

差し出された名刺には「○○有限公司総経理」とある。

 

 

じー「今日は別の孫の会社がこの会場で出展していまして、その監督に来たんです(^^)。これが孫の会社です。」

 

 

そのお孫さんの会社のパンフレットと出展案内を見せてくれた。何やら先端技術の会社を経営しているらしい。

 

 

フミ「立派な会社ですね。」

 

じー「まだまだこれからです。それと、この娘の主人は○○銀行の副頭取です。この孫娘はいま○○大学の医学部を目指して受験勉強中なんです。」

 

 

また二人は笑顔ではにかみながら頭を下げた。

 

ということでひと通り紹介されたのだが、おれのほうは今日は名刺を持ってこなかったのでその旨を告げると、娘さんがバッグの中を探してメモ用紙とペンを取り出した。

 

日本ではいまだに振り込め詐欺とかオレオレ詐欺が流行っているので警戒が必要だが、いずれにしろ調べればすぐわかるので、とりあえず会社の連絡先を書いてじーさんに渡しながら、

 

 

フミ「日本語はどこで学ばれたんですか?」

 

じー「戦前の日本の統治時代に学校で学んだんですよ。わたしは86歳なんです(^^)」

 

フミ「ほんとですか? とてもお元気でいらっしゃいます。」

 

じー「ありがとうございます。日本人はとても親切でした。それに日本は素晴らしい国です。日本のどちらからお越しですか?」

 

フミ「東京からです。」

 

じー「私も東京の新宿にいたことがあります。」

 

フミ「私の事務所も新宿です。」

 

じー「それは何かのご縁かもしれないですね(^^) 何か台湾のことでお困りのことや必要なことがありましたら、遠慮なくご相談ください。」

 

フミ「ありがとうございます。」

 

 

ということで、短い時間であったにもかかわらず、互いに名残惜しみながら温かい席を立った。

 

もちろんこの人たちがどういう人たちかは今後のことを見ないとわからないが、日本と日本人への好意と温かさが確実に伝わってきたのだった。

 

 

 

そうなのだ。

 

台湾には自己主張の強い喧しい中国系の人たちもいるが、このような親日の人たちが多いのだ。事実、ホテルのクラークもタクシーの運転手も店のウェイトレスも日本人には親切である。

 

2011年の日本の東日本大震災のときには、全世界から日本に寄せられた義援金のうちじつに半分が台湾の親日の人々から寄せられたものであった。

 

人口わずか2000万人の台湾から日本の被災地に届いた義援金はじつに200億円を超えたのである。

 

人口3億人のアメリカから日本の被災地に届いた義援金は台湾に次いで第2位だが、その金額は30億円だった。

 

義援金の額に文句を言うわけではないが、中国や韓国からの義援金は台湾に比べればなかったに等しい。台湾の人たちの日本人への義援の心は圧倒的に大きい。

 

 

 

しかも、その東日本大震災から4年後の2015年、

 

台湾・自由時報が、東日本大震災から4年が経過したことに合わせて、震災当時に日本の古川禎久議員が国会で行った質問を報道で紹介すると、 台湾の人々から感動のコメントが寄せられたのである。

 

台湾・自由時報の報道は以下のようなものだ。

 

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