禅・・・洗脳と妄想を打ち砕く東洋思想
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東京国立博物館の特別展「禅~心をかたちに~」を観てきた。
この特別展は臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱記念として開催された。
ちなみに、遠諱(おんき)というのは50年毎に行われる偉い坊さんの法要のこと。
臨済将軍と呼ばれた臨済義玄も興味深いが、今回はとくに白隠慧鶴に焦点を当てて観てみた。
圧巻はやっぱり白隠の「ダルマ像」
片隅にちょこちょこと書き込んだような「直指人心・見性成仏」の画賛がとてもバランスがいい。
直指人心・見性成仏は一般に「自分の心を直に見よ。仏になろうとするな。もともと自分の中にある仏性に目覚めよ」などと解釈されるが、
この2メートル近いダルマ像の、迫力あるぎょろ目の生命力に、この画賛の「仏性」は聖書にある「生命」と書き換えてもよいと思った。
それからもうひとつ。白隠の「円相図」
画賛に、法語ではなく、「茶摘み唄」が書かれていた。
遠州浜松 よい茶の出所 むすめ遣りたや いよ茶を積みに
なんと、むすめたちが無心に茶を摘んでいる情景がパーッと広がって、法語の画賛よりももっと具体的に無心の境地に導かれる思いがした。
残念ながら、現在の日本の寺院はほとんど葬式業者とか観光業者になってしまっているから、一部を除いて、ろくな坊さんがいない。
だいたい坊主の役割というのは「人に親切にしなければいけません」なんて説教することではない。そんなことは言われなくても誰でもわかっていることだ。
人は仕事や人間関係や男女のことで苦しみ、もがき、死んだほうがましだと思うからこそ救いを求めているのだ。
これを打ち破るために禅がある。
禅とは問題解決のための実践的な手法だ。