フミヤス・サンタゲバラ クラブ

人間と世界を動かしている秘密と真相を勝手に書いていきます。 このブログには実在の政財界のフィクサー、実力者、著名な実業家、メスネコなどが登場します。

愛は刃の切っ先で踊る

 

 

 

 

愛の出会いは二人を刃の切っ先に導く。

 

異質な要素が出会う境界は、刃の切っ先のように鋭く尖っている。

 

二人が惹かれあうほど、愛は、「これが自分だ」とか「自分らしさだ」と自分で定義している習慣や思い込みを、ときには容赦なく切り裂き、切り捨てていくからだ。

 

誰かと接して激しい衝動を憶え、痛切さ、感動、愛、激情などに強く心を動かされたなら、それはあなたがこのむき出しの切っ先にいるということである。

 

「愛は恐れを追い払う」という言葉はあまりにも単純な決めつけのように思える。恐れはむしろ親密さの友であり、むしろ「愛は恐れと親しみ合う」と言えるだろう。

 

パートナーシップのマインドフルネス

ジョン・ウェルウッド(島田啓介訳)

 

 

 

先週末にインフルエンザにかかって、金曜から昨日まで3日間寝込んでいた。

 

去年の暮れも酉の市の屋台で食べた生ものが食あたりを起こして何日か寝込んだので、去年の暮れから年明けにかけて少しスマートになったかもしれない。

 

昨日の午後から頭痛もだいぶ緩和したので、それで部屋の本棚からあまり頭を使わなくてもよさそうな本を選んで読んだのが上記の「パートナーシップのマインドフルネス」(ジョン・ウェルウッド)だった。

 

 

 

この本は親しい女性が2冊購入してそのうちの1冊をプレゼントしてくれたものだが、そのうち目を通そうと思いながらもそのまま本棚に積まれていた。なんとなく勉強しなさいと言われているようで、無意識にほうっておかれたのかもしれない。

 

ページを開くと、作者の文章力がないのか、訳者の翻訳が下手なのか、難解ではないのに解りにくい言葉で三部300ページ以上もあるので、とりあえずそのうちの第一部だけ読んでみた。

 

結果は・・・

 

とても勉強になりました(笑)

 

 

 

作者のウェルウッドさんは「禅」に深く通じていて、禅の思想と実践を恋愛に応用しているところがなんとも素晴らしいのだ。

 

 

 

ウェルウッドさんは語る。(注、フミヤス流大幅要約)

 

 

・・・・・・・・・

 

 

愛する人との出会い、そして愛が、自分たちを救い、あらゆる問題を解決し、変わらない幸福と安定を授けてくれるはず、というのは幻想であり、ただの思い込みである。

 

そういう思い込みが自分自身を願望の幻想に閉じ込め、愛の本来の力を損なわせてしまう。

 

(いきなりいいところから入った。そう、こういう思い込みが愛の破たんの根本原因になっていることが多いのではないか。)

 

 

 

自分の欠点を愛する人が補ってくれるのが愛だという錯覚を続けるなら、情熱や豊かさどころか、大きな苦しみがやってくる。自分の人生で失った伸びやかさや瑞々しさを与えてくれるのは愛する異性だけだという幻想に浸るなら、むしろ異性との関係によって心に飢えと虚しさが広がるだけだ。

 

何かを与えてくれるのが愛ではない。

 

 

 

愛とは「道」である。

 

出会う困難を生かして相手と繋がり、自分自身のいのちとも繋がることができる、そういうチャンスがある道なのだ。

 

 

 

愛する人が自分にない性質を持っている場合、本物の愛なら、彼(彼女)は、あなたの欠けたところを補ってくれるのではなく、あなた自身で欠けたところを育てるよう迫ってくるのである。

 

そのときはじめて人は情熱を掻き立てられ、強く惹きつけられるのである。自分が気づいていなかった自己の全体像の広がりと深さを、彼(彼女)が教えてくれ、体験させてくれるからだ。

 

 

 

人生を精いっぱいに生き、愛する人と深く豊かな関係を築くことを妨げているものは何か?

 

それはあなた自身の「自分とは何か」についての理解の狭さ・貧しさにある。

 

長い年月をかけて固定した心の癖、逃避、拒否、無智、恐れなどによって形成されたパターンによって私たち自身が締め付けられ、生命力を絶つぞという脅しを受けている。網に捉えられている。

 

この強固に条件づけされたパターンは「カルマ」と呼んでもいい。手を打たなければカルマは人を生き埋めにする。

 

 

 

しかし私たちの本質は真実を求める。真の自分を求める。

 

自分一人では自分のパターン、カルマに気づかない。そのへんのヤツから何か言われても「なに言ってやがるんだ!」と反発するだけだ。

 

しかし愛する人があなたのパターンに何らかの反応を示せば、無視できなくなる。自己の成長へと歯車が回り始める。異性を愛するとハートとカルマの出会いが起こるのだ。

 

 

 

ハートとカルマが出会うなかで、不確かさや混乱、恐れや弱さの感情が生まれ、その中心に生々しいものが姿を現してくる。ありのままの経験と感情である。

 

この生々しいもの、ありのままの経験と感情はこぎれいな容器にぴたりと収まりはしない。こうあるべきだと思い描くような理想的なイメージと一致することもない。

 

自分自身と和解するためには、いま経験している事実と感情をあるがままに受けとめるしかない。

 

 

 

それは苦しい作業であるが、そうして、やがて、気づくのだ。

 

自分が創作したストーリー・カルマから、気づきへと乗り換えたのである。

 

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(財)日本総合戦略研究所 年頭のご挨拶 「争いの世界から愛と和の世界へ」

 


 

 

 

あけましておめでとうございます。

 

(財)日本総合戦略研究所の年頭のご挨拶を申し上げます。

 

 

 

昨年9月28日に、坂上理事長が久間元防衛大臣の国際平和戦略研究所においてイージス・アショア(陸上配備型のミサイル防衛システム)導入における問題点を暴露しました。

 

これによってこの問題は有識者やマスコミが知るところとなり、東京新聞毎日新聞、財界展望などが報道をスタートしたことはご承知の通りです。

 

 

 

日本のイージス・アショア導入において、米国ミサイル防衛庁が日本に提案してきたレーダーは、

 

1.米国レイセオン社製のレーダー「SPY-6」

 

2.米国ロッキード・マーチン社製のレーダー「SSR」

 

の2つでした。

 

これに対して、日本の防衛省は米国ロッキード・マーチン社製のレーダー「SSR」を選定しました。理由としては基本性能や価格を評価したとしています。

 

 

 

しかしこの選定が不合理であるのは明白です。

 

坂上理事長が指摘する主な論点は、

 

1.米国ロッキード・マーチン社製の「SSR」は構想段階のレーダーであり、まだミサイル射撃試験などを行っていない。

 

2.日本の海上自衛隊イージス艦に搭載されているレーダーは米国レイセオン社製のレーダーである。当然ながら同じレイセオン社製のレーダーを使えばコストが大幅に下がる。米国ロッキード・マーチン社製のレーダー「SSR」は5割も高い。

 

ということであり、これだけを見てもロッキード・マーチン社製のレーダー「SSR」を選定したのはおかしいとしか言いようがありません。

 

 

 

もちろんロッキード・マーチン社がアメリカや日本で強力なロビー活動を行っているのは明らかです。とくにアメリカ上層部のあいだでは相当な資金も動いていると思われます。

 

そのアメリカ上層部からの圧力によって安倍内閣及び防衛省ロッキード・マーチン社製のレーダーを採用したことも容易に察せられるところです。

 

 

 

これは40年前のロッキード事件と同じ構図です。

 

ロッキード事件は、今回と同じロッキード社が自社製航空機を日本に売り込むためにアメリカや日本の政治家に強力なロビー活動を行い、幅広く賄賂を贈った大疑獄事件でした。

 

このロッキード社のロビー活動が政争に利用され、日本政界最大の実力者であった田中角栄元首相をはじめ多数の実力者が逮捕され失脚したことは歴史に残るところであります。

 

 

 

いや!

 

40年前のロッキード事件のときはロッキード社が日本に売り込もうとしていたのは民間航空機ですが、今回ロッキード・マーチン社が日本に売り込もうとしているのは、日本の国防上最重要となるミサイル防衛システムです。

 

同じロッキード社の問題ですが、日本国家の国防という面において、今回は40年前のロッキード事件のときよりもはるかに重要な意味を持ちます。

 

 

 

国防には日本民族の生命がかかっています。

 

また何よりも、国家の独立は自国を自分たちの力で守れるかどうかにかかっています。

 

国防をないがしろにしている国家が独立を勝ち取ることは絶対に不可能です。またそのような国家が独立を維持することも絶対に不可能です。

 

 

 

外国からどのような取引材料を提示されたとしても、どのような圧力がかかったとしても、国防を政治取引の材料にしてはならないのです。

 

ましてやアメリカの一企業の利益追求のために日本の国防が歪められるようなことがあってはなりません。

 

 

 

だからと言って、われわれ(財)日本総合戦略研究所はけっして安倍政権を攻撃したり政権交代を仕掛けるものではありません。

 

いまのところ安倍政権に代わる政権候補が見当たらない以上、われわれも基本的に安倍政権の存続を支援するものであります。

 

しかし!・・・いや、だからこそ! 

 

安倍政権に国防を政治取引の材料にしてはならないと提言申し上げるのです。

 

 

 

昨年末(3週間前)、坂上理事長は安倍総理実弟である岸信夫議員と面談し、今回のイージス・アショア導入の問題にあたって、40年前のロッキード事件と同じ結末にしてはならないと示唆し、国防を政治取引の材料にしてはならないと提言いたしました。

 

まさにこのイージス・アショア導入におけるこの問題は、日本国民の生命を守る上で、また日本国家の真の独立を目指す上で、安倍政権の根本的な政治姿勢が問われることになります。

 

 

 

わが日本国が戦後70年以上にわたってアメリカの占領下におかれている事実には目を背けるわけにはいきません。

 

しかし、この状況をあきらめるのではなく、そこから始まって、一歩一歩、独立できる状況を積み重ねていくことがたいせつです。

 

もうそろそろわれわれ日本人はアメリカの占領下で自国民を犠牲にしながらアメリカの国際ユダヤや白人エスタブリッシュメントロッキードマーチン社を含む)の利益のために貢献するところから卒業し、真の独立をもって世界人類全体のために貢献する国家へと脱皮しなければならないでしょう。

 

 

 

世界のルールは、国家間においても、企業間においても、個人間においても、ユダヤ・ヨーロッパ型の富の奪い合いの競争と争いと戦いの精神によって支配されてきました。

 

ユダヤ・ヨーロッパのグローバリゼーションによってこの富の奪い合いと競争と争いの精神が世界中に蔓延し、人類は生まれたときから競争と争いのリングに立たされるようになりました。

 

 

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謹賀新年らしくないですが、秘め事の美学から

 

 

 

 

正月休みで何本か映画を観た。

 

その中に1つ、谷崎潤一郎の「刺青」とあったので、期待してオンしたのだが、びっくり仰天するほどの駄作だった。

 

谷崎潤一郎原作と銘打ってあるにもかかわらず、谷崎潤一郎とは似ても似つかない、食中毒を起こしそうな映画なのだ。

 

 

 

その映画のストーリーはこんな感じだ。

 

 

・・・・・・・・・

 

 

(おそらく1970年代) 歌手の卵の女が暴走族に襲われるが、彼女は観念しながらも逆に興味をもってその男の安アパートについていく。

 

ところがその最中に、男の兄貴分のやくざが来て本格的に拉致され、背中いっぱいに女郎蜘蛛の入れ墨を彫られてしまう。

 

そして彼女はそのやくざの親分に差し出されるが、親分は子分たちをどやしつける。

 

「馬鹿野郎! 入れ墨はちっちゃく彫るもんだ。こんなにでかく彫ったらお客が怖がって逃げるだろうが!」

 

女郎として使い物にならないということで放り出される。

 

その後、彼女は人生をあきらめて投げやりにチンピラの間を放浪していく。

 

それで映画が終わった。

 

 

・・・・・・・・・

 

 

なんだこれは!

 

まったく違うだろ!(笑)

 

 

 

ご存知のとおり、谷崎潤一郎の「刺青」というのは、

 

 

・・・・・・・・・

 

 

(谷崎によると) まだ人々が「愚(おろか)」と云う貴い徳を持っていて、世の中が今のように激しく軋み合わない時代のことである。

 

ある若い刺青師が心に秘めた宿願をいだいていた。
 

 

 

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美味いワインとともに、本年もありがとうございました。

 

 

 

 

今年最後の忘年会、

 

医療系の仲間とじつに楽しいひと時を過ごした。

 

本当はその翌日も忘年会が入っていたのだが、連日はきついのでそっちは会社の幹部に代理で出席してもらった(笑)

 

 

 

メンバーは

 

(財)国際健康医療研究所理事長の水上治さん

 

(財)国際健康医療研究所代表理事の大谷雄策さん

 

(社)日本健康倶楽部事務局長の市川亨さん

 

そしておれの4人。

 

 

 

(財)国際健康医療研究所は、今夏、水上さんと大谷さんとおれが中心になって設立した財団で、日本型医療の確立と世界への発信を目指す。

 

理事長に選出された水上治さんは多くの学会の理事長や会長を務める医学会の指導者だが、テレビや雑誌などで見かける温厚な雰囲気にかかわらず、じつは燃えるような激しく熱い情熱を秘めている。

 

いや、秘めているというより、水上節の論調や著作に触れればわかるように、彼は、世界の医学界を覆っている嘘っぱちやインチキ常識をぶち破り、人類が本当に救われる真の医療を確立しなければならないという大きな使命感に突き動かされ、情熱が火山のごとく噴出しているのである。

 

 

 

忘年会の場所は幹事役の大谷さんのホームグラウンドの三井倶楽部。

 

大谷さんは多くの会社の役員や顧問を兼任していて、三井信託銀行の取締役でもあったので三井倶楽部がフリーパスなのだ。

 

 

 

現地集合の約束のところ、おれが乗ったタクシーは道路がめちゃめちゃ混んでいてだいぶ遅刻してしまった。

 

と言っても、なにしろ水上治、大谷雄策、市川亨という論客3人がそろっているのだから、おれが到着したときにはもうワインで大いに盛り上がっていた。

 

とくに大谷さんは財界の社交界の親分として今年の月刊「財界」の見開き2ページを飾ったほどの社交界のドン。アカペラでシャンソンカンツォーネを本場ヨーロッパの歌手以上に見事に歌いこなす凄腕。

 

盛り上がるなという方が無理だ(笑)

 

おれも遅れたお詫びを言いながら席に着くと改めて感謝の乾杯となった。

 

 

 

美味いワインとともに水上節が冴え渡る!

 

健康とは? 

 

病院に縁がないから健康なのではない。健康とは一人の人間の身体全体の37兆の全細胞が完璧に機能している状態で、風邪一つひかず、仕事や勉強に積極的に取り組んでいて、家庭や学校、職場という自分が所属するコミュニティの中で支え合い助け合って過ごしている。生きていることが幸せである。そして、何歳になってもささやかな夢を持ち続けている。これが真の健康である。

 

 

 

日本型の医療とは?

 

明治以来日本を支配している欧米型の医療は、医師が患者を対象物として捉え、ある意味一方的に病巣を切ったり貼ったり、病原をせん滅しようとする。

 

しかし日本人そのものの自我の構造は、東洋人・農耕民族だ。自己主張をせず、周囲との平和を好む。人間は自然の一部であり、自然と調和して生きてきた。自然を征服するという発想はない。だから日本人は、病巣をえぐり取るのではなく、人体という小宇宙を大宇宙と調和させることによって、自然治癒力で病気は治る、という医学体系を築いてきた。

 

 

 

日本人の患者の特質は?

 

たとえば癌告知について、日本人は癌告知後1年以内の患者の自殺率が、癌患者以外の人に比べてなんと24倍もある。スウェーデン人は癌告知後1年以内の自殺率は、癌以外の人に比べて約3倍であり、日本人よりはるかに低い。日本人は、愛する家族や周りの人たちを苦しめてしまうよりも、むしろ・・・・と、絶望して自殺を選んでしまうのだ。日本人は欧米と明らかに違う風土、人間性なのだ。

 

 

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メリークリスマス!・・・グーグルもAIも超える境地転換

 

 

 

 

幸せいっぱいのクリスマス・イブ。

 

 

しかし雪が降りしきる厳寒の夜のニューヨーク、大きな川の橋の上で、

 

ジョージはいま投身自殺をしようとしている。

 

 

 

・・・・・・・・・

 

 

 

ジョージはみんなのために一生懸命に生きてきた。

 

   たしかジョージが12歳のとき、みんなで氷遊びをしていたとき9歳の弟が凍える池に落ちて溺れそうになったのを飛び込んで救ったことがあった。しかしそのときジョージは片耳の聴力を失ったのだった。

 

ジョージは父をとても尊敬していた。父は、高利貸しの悪徳銀行家に対抗して、街の人たちのために低金利の住宅ローンを供給していたのだ。だから父は銀行家に苦しめられながらも、街の人たちから慕われていた。生活は苦しかったけれども幸せだった。

 

ジョージには夢があって、学校の放課後、毎日ドラッグストアでアルバイトをした。ジョージは建築家になることを目指していて、そのために大学に進学する学費を自分で貯めていたのだ。

 

ジョージはハンサムでカッコよかったので、よく学校の女の子たちがドラッグストアにアイスクリームを食べにきた。ジョージは冗談を言いながら店員として給仕したが、ジョージには遊ぶ時間はなかった。

 

ある日、ドラッグストアの店主の息子が病死し、気が動転した店主は顧客の処方箋に誤って毒薬を入れてしまったことがあった。ジョージは店主に心から同情してその薬をそっと仕舞って客に届けなかった。店主はその後感謝してくれたが、そのときは薬を客に届けなかったというのでめちゃめちゃ怒られて耳から血が出るほどたくさん殴られた。

 

 

 

やがてみんな高校生になった。しかしわずかなアルバイト代ではなかなか大学の学費には届かず、同級生たちが次々に大学に進学していく中で、ジョージは一層アルバイトに精を出さなければならなかった。

 

そんなある日、尊敬する父が心労のため急死してしまう。悪徳銀行家はここぞとばかりに父の会社の資金パイプに圧力をかけて父の会社を潰そうとしてきた。

 

ジョージは会社の経理責任者である叔父や株主や従業員たちから推されて、父の会社を継ぐことになった。夢だった大学進学は自分の代わりにまず弟を先に大学に進学させ、弟が卒業したら会社の経営をいったん交代して、そのあと自分が大学に行くということになった。

 

ジョージは父の遺志を継いで、叔父や従業員たちといっしょに歯を食いしばり、街の人たちのために低金利の住宅ローンを供給し続けた。

 

しかし4年後、大学を卒業した弟は工場主の娘と結婚して、その工場で働くことになった。弟の妻はとてもいい娘だったので、弟のためにも、ジョージは自分の大学進学と建築家になる夢は捨てざるを得なかった。

 

 

 

そんなジョージもやがて幼なじみのメアリーと結婚することになる。しかしこのとき世の中の景気は大不況時代に突入しようとしていた。

 

ジョージとメアリーが式を挙げて、これからハネムーンに出発しようというとき、銀行で取り付け騒ぎが起きているのを目撃する。

 

二人が出発を延期して自分たちの会社に行くとやはり債権者たちが押しかけてきていた。

 

ジョージの会社の債権者たちの多くはジョージに賛同する街の人たちだ。みな生活費からわずかなお金をジョージの会社に預けていたので、大不況のためにみな当座の生活費にも困ってしまったのだ。

 

契約上は債権者たちに返済する期日はまだ来ていない。しかし二人はハネムーンのための資金を提供し、債権者たちの当座の生活費のために分配して助けたのだった。けっきょくジョージとメアリーはハネムーンには行くことはできなかった。

 

 

 

ジョージは何とか大不況を乗り越えると、

 

悪徳銀行家の支配下のアパートで高い家賃に苦しんでいる人々のために、ベイリーパークという家賃の安い宅地開発を実行に移す。

 

街の人たちは満面の笑顔でジョージのベイリーパークに引っ越してきた。ベイリーパークは質素ながらも笑顔と助け合いのある温かい街へと発展していった。

 

ジョージとメアリーも、最初のデートで通りかかった古びたボロ屋敷に移り住み、少しづつリフォームして住みやすくきれいな家に変えながら、やがて4人の子どもを授かった。

 

 

 

戦争がはじまると、

 

ジョージは耳の障害のために兵役を免除されるが、弟は海軍のパイロットとして大活躍し、大統領からの名誉勲章に輝く英雄となった。ジョージも家族も街の人たちも感激し、弟は街の誇りとなった。

 

そして戦争が終わった。

 

その年のクリスマス・イブの朝、街は平和の到来と、ジョージの弟である英雄の凱旋のための歓迎準備で大賑わいだ。

 

 

 

ジョージの叔父も誇りに満ちて、幸せ満面で、会社の支払いのための大金を持って銀行に向かった。

 

ところが、銀行の店先で銀行のオーナーである悪徳銀行家と遭遇し、言い合っているうちに入金するために持参した大金を紛失してしまう。

 

叔父は気づくと死に物狂いで探したが見つからない。

 

真っ青な顔で会社に戻って机や戸棚をひっくり返すが、やはり見つからない。

 

ジョージもこれを知ると、一緒に必死に探した。

 

このままでは会社は銀行の支払いができず、不渡りとなって倒産してしまう。

 

しかも帳簿に穴があいて自分も叔父も刑務所行きになってしまう。

 

二人は必死に探しまわるが、しかし見つからない。

 

その大金は銀行で悪徳銀行家に騙し取られていたのだ。

 

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クリスマスの前に・・・アラビアンナイト千夜一夜物語

 

 

 

 

2012年の映画アラビアンナイトを観た。

 

もともとイタリアで制作されたTVドラマだそうだが、映画化され、前後編で合計3時間以上の大作となった。

 

 

 

物語は、王女シェヘラザードとその召使いの女性が二人で砂漠を旅するところから始まる。

 

かつてシェヘラザードの婚礼の日、新郎アラジンと指輪を交わし誓いのキスを交わした直後、夫となったばかりのアラジンは魔女によって呪いをかけられ、愛の記憶を消されたうえ、愛する女性を殺すように暗示されて失踪したのだった。彼女は夫アラジンを捜す旅を続けていたのだ。

 

そしてある海辺の城にたどり着く。

 

村人によると、そこには自分が誰かも分からない呪われた王子が住んでいて、来る者をみな殺してしまうという。シェヘラザードはその男性こそが夫アラジンだと確信する。

 

彼女が城を訪問すると、暗い雰囲気をまとったその王子はまぎれもなく夫アラジンであったが、妻のシェヘラザードを前にしても思い出すことなく、たちまち彼女の命を奪おうとする。

 

シェヘラザードはアラジンに、癒しの力のある物語を聞かせることを条件に命の猶予を求める。

 

彼女が語り始めたのは、バグダッドの王女シェヘラザードと、街の貧しい靴職人アラジンとの愛の物語だった。

 

こうして (原作とはだいぶ違うけれども) この映画の千夜一夜物語が始まる。

 

 

 

ところで、おれとアラビアンナイトのおとぎ話、イメージが合わないって?(笑)

 

いや、おれも人の子、この映画で3回も感動する場面に会ったのです。

 

 

 

話はさかのぼって、王女シェヘラザードが貧しい靴職人アラジンと初めて出会ったころのこと。

 

まもなくしてシェヘラザードの父親である国王が後妻(シェヘラザードの継母)によって殺されてしまい、シェヘラザードは追われながら砂漠に逃亡する。

 

なんとか追手を振り切ったものの、砂漠をさまよう彼女はやがて盗賊団に捕まり、また殺されそうになる。

 

盗賊団の首領の愛人が「シェヘラザードは自分の妹だ」と言って庇ったので命は助かったが、彼女は盗賊団の奴隷となった。

 

そして盗賊団の首領は、自分の愛人を伴い、教養のあるシェヘラザードを利用して魔物から巨大なエメラルドを盗みだす。

 

しかし魔物は地を割き、首領の愛人を飲み込もうとする。

 

そのとき、極悪非道であったはずの首領は手に持っていたエメラルドを魔物に投げ返し、両手で愛人の腕をつかんで助け上げたのだった。

 

そして本当に大切なものが何なのか、いま分かった、と告白する。

 

これを甘いおとぎ話とみるか、人生の真理とみるかは、読む人の置かれている立場によるだろう。

 

 

 

次に、

 

また話はさかのぼって、同じく貧しい靴職人アラジンが王女シェヘラザードと初めて出会ったとき。

 

アラジンのほうは身分の違いに絶望してしまい、この恋をあきらめるために家を出て傷心のまま放浪の旅をしていた。シェヘラザードの父国王が殺されたことも、シェヘラザードが砂漠へ逃亡したことも知らない。

 

やがてアラジンは魔女に目をつけられて誘惑される。しかしアラジンはシェヘラザードの面影が忘れられず魔女の愛を受け入れなかった。それで魔女に囚われてしまう。

 

しかしアラジンはそこで賢者に会い、賢者の知恵で魔女を撃退する。

 

こうしてアラジンは賢者とともに癒される楽しい旅を始めるが、ある日、自分の身分違いのために実らなかった初恋の物語を語る。

 

次の日の朝、賢者は魔法のランプのありかを示した地図をアラジンに残して、自らは姿を消したのだった。

 

アラジンは必死に賢者を探すが見つからない。

 

しかし考えてもみよ。この魔法のランプを手に入れれば、自分は王子となって王女シェヘラザードに堂々と求婚できるのだ。賢者の思いもそういうことだろう。

 

アラジンは舞い上がって砂漠にランプを探しに行く。

 

が、見つからない。

 

そこに近くの貧しい村の少年が空井戸に落ちたと知らせを受ける。

 

アラジンは駆けつけ、少年を助けるために井戸を降りていく。

 

そして空井戸の底にたどり着いて少年を担ぎ上げようとすると、その空井戸の底の横穴に光るものがある。

 

探していた魔法のランプだ!

 

しかしアラジンは魔法のランプに、自分が王子になれるように願うことなく、この瀕死の少年が助かるように、また少年の貧しい村に十分な水を恵んで豊かにしてくれるようにと願った。

 

アラジンと少年は村人たちによって井戸から無事引き揚げられ、その直後に井戸は満々の清水に満たされる。こうして少年と村人は救われたのだった。

 

しかし魔法のランプはふたたび井戸の底に埋もれ、アラジンが王子になる夢はなくなった。

 

と思われたが、ところが、アラジンは村人たちから心から感謝され、村の王になってほしいと懇願されたのだ。アラジンは、己から図ることなく、感謝され、祝福されながら王子となったのである。

 

 

 

三番目に、

 

こうして本物の王子となったアラジンは、王女シェヘラザードに求婚するため故郷バグダッドに帰る。

 

そこではじめて彼女の父国王が殺され、彼女自身も行方不明となっていることを知る。

 

 

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彼はルイヴィトンから来た――わくわくする面白さ

 

(パリ シャンゼリゼのルイヴィトン)

 

 

 

このブログは毎週日曜日に書くことにしているが、一昨日土曜日の酉の市で屋台で食べた半生物が食あたりを引き起こしてしまい、昨日の日曜日は一日中寝込んでいた。

 

おれは5年前に暴飲暴食で胆嚢をやられて手術したことがあるので (とどめは3人で紹興酒を17本空けたとき。もっとも入院生活は至極楽しいものであった(笑) → お浣腸しますよ)、

 

昨日はそのときの症状に感覚が似ていたので念のため病院に担がれて行ったが、まず食あたりだということで、少しほっとしながらも一日中寝込みながらウンウン唸っていたのだった。

 

今日はもう大丈夫です(^^)

 

 

 

それで本題。

 

 

おれの友人にまだ若いHがいる。

 

彼は、パリのルイヴィトンでAI戦略・インターネット戦略を担当していた。しかもその後韓国のサムソンに引き抜かれて同じくAI戦略・インターネット戦略を担当した。

 

そして2年前に日本に帰国して、いま35歳、一部上場会社のAI戦略・インターネット戦略の責任者となっている。

 

彼の本名は近々開示できると思うが、本人の立場上、もし差し障りがあるといけないので今回のところはイニシャルHで記載することにした。

 

 

 

人間にはウマが合うというか、意気投合するというか、センスがマッチする仲間というのがいる。

 

おれの場合、たとえば水上治さん(医学博士・国際健康医療研究所理事長・70歳)と話していると、日本人、縄文日本人、日本型医療、人類の歴史、さらには人間論に至るまで、考え方がぴたりと合って、話すたびに新たな発見があり、自己の再発見もできる。

 

またたとえば安倍政権最強のフィクサーT先生(78歳)と話していると、政財界のキーパーソンたちの動きが手に取るように分かり、世の中の流れの裏事情・真相が分かるにとどまらず、人間のものの考え方、国内国外の政治勢力の本質、パワーバランスの本質まで、話し込んでいくうちにより鮮明に浮かび上がってくる。だから話すたびに新たな発見があり、己を含む人間というものの本質がより深く理解できる。

 

 

 

ルイヴィトン出身のHさん35歳とはまた別の感覚でウマが合う。

 

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