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おぬし、できるな!・・・香り高き文化学院にて

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文化学院出身の寺尾聡さん)

 

 

 

哲学的文化団体「日本の文化伝統そして日本人のこころ」に、昨年の文化学院の閉校を受けて、特集記事「香り高き文化学院」が掲載された。

 

 

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竹久夢二与謝野晶子北原白秋らが活躍した大正ロマン華やかなりしころ、

 

建築家の西村伊作は、与謝野晶子石井柏亭に、当時の政府の学校令に縛られない自由でより創造的な学校が必要であると力説した。

 

三人は大いに意気投合し、こうして1921年、東京に文化学院が創立されたのである。

 

国との方針が違ったため補助金はなく、すべて伊作自身の資産で運営され、河崎なつや与謝野晶子らによって独自の教科書も作られ、広辞苑に載る数少ない学校の一つとなった。

 

校舎は西村伊作自身によって設計され、当時の兵舎のような校舎の常識を破って、英国のコテージ風の建物が建てられ、大きな話題を呼んだ。軽井沢のル・ヴァン美術館に創立当時の校舎が復元され、当時をうかがい知ることができる。

 

 

 

文化学院の講師陣は圧巻であった。

 

文学は、与謝野鉄幹与謝野晶子菊池寛川端康成佐藤春夫有島武郎らが教え、

 

さらに堀口大学北原白秋芥川龍之介遠藤周作高浜虚子萩原朔太郎等がこれに続けと講師に加わった。

 

美術は、石井柏亭が率いる二科会の山下新太郎、有島生馬、正宗得三郎、水彩の赤城泰舒、棟方志功、ノエル・ヌエットらが教えた。

 

音楽は、山田耕筰エドワード・ガントレット、伊達愛、萩野綾子、浅野千鶴子、ハンカ・ペッオード等が受け持った。

 

他にも、横光利一小林秀雄等が創作と文芸評論を担当し、三宅周太郎、北村喜八、伊籐筰朔が演劇を担当した。

 

中学部の幼い生徒たちにも当時の一流の学者、芸術家たちが親しく教え、高踏的な人間教育がなされ、文化学院は多くの人材を輩出したのである。

 

 

 

しかし、1930年代、

 

世界恐慌、ドイツにおけるナチスの台頭、満州事変、日華事変などが次々に勃発する。

 

しかしその時代にあっても、文化学院は当初の校風を貫き、戦時中も自由主義の教育を続けて世評を恐れなかった。

 

1943年、西村伊作は自由思想による不敬罪でついに拘禁、投獄され、文化学院は閉鎖命令を受ける。

 

それでも文化学院は屈することはなかった。

 

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