フミヤス・サンタゲバラ クラブ

人間と世界を動かしている秘密と真相を勝手に書いていきます。 このブログには実在の政財界のフィクサー、実力者、著名な実業家、メスネコなどが登場します。

この魅力あふれる、愛すべきキックボクサーたち・・・あの頃の自分に勝て!

ライト級世界チャンピオン 梅野源治

 

 

 

木曜日、趣味のキックボクシングのジムに通う途中のこと、

 

今週は仕事がハードスケジュールだったので疲労で身体がクタクタで、最寄り駅を降りてあと5分歩けばジムに着くというところで脚がフラついて力尽きた(笑)

 

しかし運よくすぐ近くのファミレスが目に飛び込んできたので、あまり時間もなかったがさっと入ってチョコレートパフェとコーヒーを5分で喉に流し込んでエネルギーを充填した。

 

おかげで瞬時に元気回復したが、こうなると汗をたっぷり流してもカロリー計算上はあまり意味がないかもしれない(笑)

 

ほんとはこのクタクタの状況のままトレーニングを行うと身体が引き締まってくるのだが、明日の仕事のエネルギーも残しておかなければならないのでまあいいだろう。

 

 

 

それで元気を取り戻してジムに向かうと、ちょうど反対側から梅野源治選手がやってきた。

 

梅野「あ、こんちわっす!」

 

フミ「こんちは!」

 

梅野源治はキックボクシング・ライト級の現役の世界チャンピオン。ほとんどの世界タイトルを制覇してムエタイ界の至宝とまで言われている。

 

しかしキックボクシングから離れたこういうときの彼の笑顔は素直でとても爽やかだ。まだ彼が世界チャンピオンになる前からの馴染みなのでその心身の成長を垣間見ることができたのはじつに幸運である。

 

今日は彼のトレーニングを受けるのを楽しみにしてきたのだ。

 

 

 

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つい先月のこと、

 

おれが通うこのジムでは分裂騒ぎがあってトレーナーや会員が二分してしまった。

ウェルター級元世界チャンピオン 加藤督朗 (現役時代の写真)

 

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ででんぶん・・・縄文日本人を感じさせてくれる彫刻家・宇賀地洋子の世界

これは何か? 

 

 

 

この木彫りは、彫刻家・宇賀地洋子の作品である。

 

名付けて 「ででんぶん」。

 

 

 

なんと謎に満ちていることか。

「ででんぶん」 (2019 ヒノキ) 

 

 

しかし、じっと観ていると、

 

う~む、なんとも日本的ではないか。

 

この木彫りから、縄文日本人の香りを感じるのである。

 

 

 

それに名称の「ででんぶん」

 

これもなんとも縄文日本人的な香りがある。

ででんぶん(2011) と ででんぶん(2019)

  同じヒノキだが、時間がたつと右側から左の飴(あめ)色になる

 

 

 

 

「ででんぶん」について、宇賀地洋子は語る。

 

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世界一受けたい授業・・・がんは愛する人との「生きがい」で克服できる? 水上治の世界

 (昨日の日テレ「世界一受けたい授業」にて)

 

 

 

今日の本題は昨日の日テレ「世界一受けたい授業」でわれわれの水上治理事長が語った少なからず感動的な話である。

 

が、その本題の前にちょっとだけニュース。

 

 

 

木曜日(5月16日)のこと、

 

横浜のドン藤木会長(88歳)の記者会見が日刊ゲンダイに載った。

 

記事は、

 

藤木会長と自民党の二階幹事長は兄弟分なので、横浜(藤木会長)と和歌山(二階幹事長)でカジノをやろうと推進してきた。しかしその後、藤木会長はラスベガスやシンガポールギャンブル依存症と荒廃の実情を知って考えが変わり、この日(5月16日)、ついに横浜でのカジノ推進に反対を表明した。それで横浜にカジノを推進してきた菅官房長官は真っ青になった。

 

というものだ。

 

 

 

藤木会長とは、横浜の港湾を押さえ、表社会でも裏社会でも横浜・神奈川県のドンである。地元神奈川県では国会議員でも県知事でも藤木会長が敵に回ったらまず一発で落選すると言われている。

 

日刊ゲンダイは、藤木会長が親しいはずの地元国会議員である菅官房長官に喧嘩を売ったのか、と書いている。菅官房長官が真っ青になったのも当然なのだ。

 

 

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その気持ちがうれしい・・・誠実さとは?

好鳥聲如契 寒梅香可憐 (樵舟)

 

  好ましい鳥の聲は、人生の契機を告げる如し。

  春を迎える寒梅の香りはこんなにも愛おしいものだったのか。(フミヤス流)

 

 

 

書家の樵舟さんから書画を頂いた。

 

樵舟さんの弟子である友人から連絡があったのだが、その気持ちがとてもうれしい。

 

その何の欲得も私心も計算もない樵舟さんと友人の純粋な気持ちが、おれなんかにはもったいないほど素晴らしいのだ。

 

 

 

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じつは、この書画は165cm×85cmという大作なので、一昨日、おれの千代田区〇番町の自宅に直接送ってくださったのだが、配送業者の手違いでこの日は届かなかった。

 

それで友人が急ぎ確認してくれたところ、配送業者が予定時間をかなり遅れて到着して、けっきょく不在配達票をポストに投函してくれたということだった。

 

驚いたのは、友人がそのことを樵舟さんに連絡したところ、樵舟さん自身で配送業者に連絡して急ぎ再送付の手続きをとってくださったという。

 

その誠実で謙虚な姿勢がさらにうれしくて、昨日はそのお弟子さんである友人と、樵舟さんの「誠実さ」「謙虚さ」について語り合って湧き出てくる喜びを分かち合った。

 

そう、思わず喜びが湧き出てくるのだ。

 

 

 

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前回のブログで書いた楠木正成が縄文日本人の誠実と忠誠を貫いて後世に伝え、大きな歴史的役割を果たしたように、書家樵舟もまた大きな歴史的役割を担っている。

 

中国古典の書論の真髄は、清時代の最高峰の書家である包世臣によって掘り起こされ、偉大な政治家でもあった康有為へと引受け継がれ、さらに戦後日本に在住した最高峰の中国人の知識人と言われた景嘉へと受け継がれた。

 

そしてその真髄を景嘉から唯一受け継いだのが日本人書家の樵舟である。

 

中国の古典から脈々と伝わる生きた書論を背負っている歴史の重みがあるのだ。

 

 

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新時代「令和」のはじまりにて・・・黙して忠誠を尽くす縄文日本人は令和をどう造るか

大型連休の真っただ中、日本人は新たな「令和時代」を迎えた。

 

この新たな幕開けの連休を、現在の日本で最強のフィクサーでありバリバリの天皇擁護者であるT先生(78歳)は、東京駅から新幹線で1時間ほどの近県にある豪壮な本宅で過ごしている。

 

T先生は普段は毎週月曜の午後から金曜の午前までの4泊は銀座にほど近いタワーマンションの最上階で過ごし、金曜の午後から月曜の午前までの3泊はこの本宅で過ごすのが習慣になっている。

 

この本宅は帝国ホテルなみの豪壮な造りで、広い門から見えるガレージにはベントレーロールスロイスなどが常に3~4台並び、総大理石の玄関周りだけで100坪を超え、玄関から入ると天井が3階ぶち抜きの広壮なロビーへと続き、奥の間には国宝級の日本刀を愛でたり囲碁や将棋を行う和室がいくつも連なり、帝国ホテルのスィートルームのようなゲストルームを多数備え、高級酒のそろったクラブまで完備している。

 

ここはT先生の故郷であり、この県の国会議員たち、県知事、市長、県警トップなどはみなT先生の子分だ。地元実力者にはT先生が主催するT塾の塾生も多い。いわばここはT先生の王国と言ってよい。

 

歴代の東京高検検事長や警視総監、大物官僚たちはみな東京からこのT先生本宅に挨拶に来るのだ。

 

 

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驚くほど表情豊かで、視線に目力がある・・・渡良瀬川渓谷、富弘美術館にて

(左から富弘さん、渡邊さお里さん、フミヤス。 渡邊さお里さんは文化団体「日本の文化伝統そして日本人のこころ」の編集委員

 

 

 

群馬県渡良瀬川渓谷にある富弘美術館で、昨日、以前から楽しみにしていた   星野富弘さんと詩人の大橋政人さんの対談が催された。

 

 

 

富弘さんは大学を卒業して地元の中学校の教諭となったが、わずか2年後、24歳のとき、クラブ活動の指導演技をしていて頭から落下し、頸髄を損傷して手足の自由を完全に失った。

 

富弘さんは、生涯、手足の動かない車いすの生活となった。

 

 

 

当然ながら、24歳の富弘さんは絶望した。

 

悔やんでも悔やみきれない。

 

富弘さんは来る日も来る日も病室の天井を見ながら、

 

もう死んだほうがよいと思った。

 

富弘さんはお母さんにも辛く当たり、「なんでおれを生んだんだ!」と言って泣かせた。

 

お母さんは、そんな富弘さんを必死に看病しながら、せめて心が通じるようにと、手足の動かない富弘さんの口にペンを咥えさせて文字を書く練習をさせた。

 

富弘さんは最初はやっと点を描くだけで力尽き、何度も癇癪を起こした。

 

富弘さんを支えたのは、お母さんの「自分のいのちに代えても」の必死の愛であった。

 

やがて富弘さんは口にくわえた筆で詩と絵を描き出していく。

 

 

 

それから50年、じつに半世紀、富弘さんは手足が動かないまま、ついに、われわれに大きな感動を与えてくれる詩人・画家となったのだ。

 

富弘さんの詩から伝わってくるのは・・・

 

 

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樵舟、時空を超えて・・・康有為、景嘉、樵舟へと伝わる真髄の書論

 

 

『 かいせい 』 : 誠心を抱き持つ 樵舟(しょうしゅう )

 

 

 

 

書家によると、中国古典の書は「いのち毛」がしっかり生きている。

 

その生きた古典の真髄を書論に著しているのは、中国清朝時代の書家である包世臣(ほうせいしん)と康有為(こうゆうい)の二人であるという。

 

包世臣は書論『芸舟雙楫』(げいしゅうそうしゅう)を著わし、古典の書法の論理から実際の書の技術面まで詳しく解明した。中国の書法を大転換させた書の大家である。

 

 

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