豊田真由子議員~あんなのはいっぱいいる
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- 安倍晋三さん (内閣総理大臣)
豊田真由子議員(埼玉4区)の醜悪な顔と怒声と暴力が話題になっていたが、
小林麻央さんの強く清らかな生涯に、おれも貰い泣きしたが、日本中が泣いたところだったので、とくに豊田真由子さんの醜悪な表情が際立った。
その豊田真由子議員について、先週、自民党の河村建夫元官房長官は、「かわいそうだ。男性の衆院議員なら、あんなのはいっぱいいる。気持ちは分かる」と官邸で記者団に述べた。
河村さんはその後批判されて、フェイスブックで「不用意な発言が誤解を生んだ」と言って発言を訂正して取り消したが、
しかしこの河村さんの「あんなのはいっぱいいる。気持ちは分かる」というのは、じつは永田町では常識で、本音だ。
しょうもない話で恐縮だが、おれも20代の若造のころ、出向のような形で一定期間代議士秘書をやったことがある。
河村さんが言うような「男性の衆院議員」についたが、やはり河村さんが言うように「あんなのはいっぱいいる」ので、そこでは実際に豊田真由子さんよりも醜悪な顔と怒声と暴力が日常茶飯事だった(笑)
たとえば、
代議士が賄賂を取って、それを後援会のオヤジから咎められたとき、代議士は第一秘書に責任をなすりつけて、そのオヤジの前で第一秘書をコテンパンに罵倒して殴ったうえに土下座させたことがあった。
同じような理由でその第一秘書から下っ端秘書(と言っても当時おれの先輩秘書)がコテンパンにいじめられて、その下っ端秘書はわけもわからず有力後援者の前で泣きながら土下座して「申し訳ありません!申し訳ありません!」を繰り返して謝っていた。
当時、自民党の国会議員であれば、傘下に区長、都会議員が各1~2名、区議会議員20~40名、後援会500団体くらいを抱えていないと当選できなかったから、それらを面倒見る秘書は20~30名くらいは必要だった。
代議士はじめその20数名の秘書たちや傘下の区会議員たちはとにかく朝から晩まで走り回る。
何をやっているのか?
票集めと金集めのために走り回っているのだ。
何かを考える会と言う後援会があれば一緒に参加して何かを考える、なんとか流の踊りの会の後援会があれば踊りの発表会に参加してあいさつし、秘書はその幹部のご婦人たちのために一緒に飲みに行く。
選挙区内の葬式(毎日2~3件あった)は代議士と秘書で手分けしてぜんぶ顔を出す。結婚式も可能な限り顔を出す。出産、建築祝い、何かの発表会、なんとか記念パーティなどみんな顔を出す。後援会500団体からあらゆる情報が寄せられて、それを片っ端からさばいて、選挙民にアピールするわけだ。
そしてその合い間に有力後援者(何しろ後援会長だけで500人いる)とつるんで金儲けをしようとしてまた走り回る。下は交通違反の揉み消しから、上はそれこそ・・・、おっと、ちょっと書き過ぎた。
とにかく朝から晩までそうやって走り回っているのだから、「国家100年の計」とか「国民の福祉」とか「人間の幸せ」とか考えている暇がない。
選挙でスピーカーで喚いていることはほとんどインチキだと言っていい。
それで代議士事務所内にも派閥ができる。おれがいた事務所は第一秘書派と第二秘書派に分かれていて、第一秘書くらいになると多数の秘書だけでなく区会議員なんかも多数傘下においていて、代議士と並んで金を稼いで貯め込んでいたからたいへんな羽振りだ。
都内に通称○○(第一秘書の名前)御殿と称する、代議士の家よりも立派な家に住んでいた。むしろ代議士のほうが選挙民の手前があるので、清廉潔白なふりをしなければならない。
あるとき第二秘書が第一秘書を騙して500万円を振り込ませて、そのままとぼけようとしたことがある。第一秘書はかんかんに怒って、選挙区内のヤクザを使って第二秘書を襲わせたものだ。
もっとも、第二秘書もさるもので、都内のホテルに隠れてしまって、そこから傘下の秘書に命じて第一秘書のヤクザを調べさせ、そのヤクザの本家のヤクザに電話して「200万円あげるからおたくの分家のチンピラを押さえてよ」と依頼し、
その翌日、明るく事務所に出てきて、「みなさん、今日も一日、第一秘書であらせられる○○さんを見習ってがんばりましょう!」とのたまわって、第一秘書のメンツを立てていた。それで第一秘書もあきれてそれ以上は不問に付し、第二秘書のほうは差し引き300万円の利益を出したわけだ(笑)
それから二十数年、いま、おれの仲間の代議士たちを見るとだいぶ状況は改善されているようにも見えるが、
元官房長官の河村さんが言うように、「男性の衆院議員なら、あんなのはいっぱいいる。気持ちは分かる。」というのはまだまだ永田町の現実で本音なのだ。